摂食障がいの克服325【過食症という罰】
お仕事から帰宅しました。
人はどこまで無理ができるのか、またいつの間にここまで無理をすることに慣れてきたのかなーと考えていると、過去の自分にたどり着きます。
過去の自分は物心ついた歳から今までずっと無理をしているので、無理とは常に隣合わせで生きては来ている。然しながらというよりは、だからこそ、自分の身体や心に無理を強いてきた代償が過食という自分への自虐・自傷となる依存症に誰が値するほどの罪を犯したんだろうと、大きな矛盾を感じます。
無理をしてきたのは、いつか来ると信じる素敵な未来のためじゃなかったのか、誰かを守るためじゃなかったのか、また目標を達成するためではなかったのか…。
普通に食べるという行為や人と食べる行為や、空腹や満腹を感じる心、”ごちそうさま”を言える精神。それらを奪われるまでに私は重罪を犯したんだろうか。(”ごちそうさま”の精神は持ち合わせています。しかし、”ごちそうさま”にならないのです、過食症になってしまうと)
これは私が摂食障がいになってから感じた事柄になります。
例えば、プレ摂食障がいで書かせて頂いたある時点のできごとでは、限界と感じて身を寄せた実家で、お米を炊飯器ごと食べないと気が済まないような症状が出て翌朝それでも早朝から仕事で泣いた。父親には、『人のせいにするな』と何度も吐き捨てられるように言われたこと。
37キロの拒食症を2年ほど経験していますが、その後過食に移行して食べ物が怖くて(主に炭水化物。全く無理だった。お米は3口ぐらいがやっと、麺類は不可)、それでも300キロカロリーのパンを食べたと母親に言ってみたら、『そんなこと言ってまた明日太ったとか言わんといてよ』と言われて顔がぐちゃぐちゃになるまで泣いたこと。
ある日実家に言ってみて、自分の食べられないお米を妹が1膳食べていて、『そんなに食べるの?』と聞いたら『フツー』と言われたこと。(そして、その側にいつも一緒にいたかった息子が『おばちゃんがすき』と、座っていたこと)
年単位に苦しんでいると、一言に精神が壊れるほどの破壊力が伴うので。まして、近かったはずの人たちであればなおさら。
現状家族とは電話もするし、家族は私を心配してもいます。なので過去のことです。過去、私はひとりだった。
摂食障がいを心の症状でないという人がいたら(つまり”友達”と書いていた私の元カレもそうですよね…。『飲み屋のママに聞いたら摂食障がいって心の問題らしいで』と1年一緒にいて、私に言ったあの衝撃。)、何の症状でしょうか。突然訳も分からず、食べるという行為を止められない病気になるわけがない。徐々に蝕まれた精神であり、だからこそ、『治す』作業としては心と向き合う連続だと思うんです。
心が悲鳴を上げて自傷行為が始まり、それが過食だとしたらアラームだと思う。『私はここにいて、もう限界で辛い』そういうアラームだと思うんです。
絶対に周りが心配して、今の現状の負荷を軽くすべきだし、恐らくはだからこそ目に見える行動で起きている行為なんじゃないかと。
明らかに周りから見れば異常。お米をお釜ごと食べる、カロリー高い食べ物ばかり食べ続ける。もしもその近くにいたなら単に食べ物を取り上げるでは永遠に解決しない。なぜ、その行動をその誰かがしているかということ。無理をしてきた、孤独である、今誰でもいいから助けてほしい、そんな心があるはずだということ。
問題は、経験者だからわかるけれど、それがアラームだと捉えられないという現実だと思います。当人が苦しんでも苦しんでも周りが重要視しないという。
過食症は恐ろしい精神疾患です。何度も思うけれど近年まで医師でも治せないとされていた、精神疾患唯一の難病指定です。
難病になってしまったから、頼りたくなってしまうんですよね、なんでもいいから。それこそ、『ホリーガーデン』の果歩が『隣の人でも、その隣の人でも、その隣の人でも』と助けを求めたように。
自分がもう限界だということに、心身ともに。気づいてほしいからこそ現れていると私は思います。
だから今傍にいる人の理解があれば大きなパワーになり得るし、逆であれば一時的な居場所でしかないと私は思うんです。
一時的な場所に頼り続けると、どんどん自分の心は疲弊します。ダメージも大きくなる。過食に深く悩むから一時的対策を取るけれど、どれも自傷行為になりかねない。それほどに恐ろしい病気になってしまったと私は思う。
本当に辛い病気です。
今私は、朝もお昼も食べてから出勤しているので、撲滅すべきは、まずは”拒食”からとは思うんです。過食症になると、普通に食べるということを否定しがちです。だからまずは食べてみて、それでも過食が起こるかどうか。
起こるときには原因がある。
それが、長年自分の身体を飢餓にしてきた、体なのか。
頭で自分の”~するべき””~しないべき”を抑えつけた反動なのか。
心がただ、悲鳴を上げたからか。
私もこのところ、頭と心が苦しすぎて、もう、過食症に戻るかも感じることは多々あります。どこからが過食症、なんていうのも過食症であれば悩みどころです。なぜなら食欲がわからないので。食べる=過食だとすると、本当に辛い。
過食か過食じゃないかの判断を、ただ、翌日の体重に委ねていて、本当に何かによって支配されている。自由じゃない。
けれども私の場合、概ね体重が毎日同じぐらいなので、…
そう考えつつもしんどいという症状と向き合うとどこまでも分からない症状だから、一人で向き合うにはきつすぎるように思います。