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摂食障がいの克服283【傷ついた心の重さと、周りの人の心】

 こんばんは。お仕事を終えて帰宅したところです。

 下記は2日前に書いたのですが、その後ノートでの時が止まっていました。その間にも大好きなノーターさんにコメントできたりすることが幸せだなーって思いました。先日バク転に関してもコメント頂いたりしてとっても嬉しいです。(ずっと休んではいるものの…)
 
 ❝昨日、リスニングパート2、パート3の問題を解いてみました。

 パート2: 10/12
 パート3: 4/6

 あの筆記試験の脳の疲れがなければ、まだ分かるという結果になりました。このパート3の問題は、準1同様時系列だったので、間違ってはいけないものでした。ついつい、先入観が勝ります。必ずしも間違いじゃない選択肢が、質問の趣旨に反していることもあったり(本当にたまに)❞

 2日以上が経ち今日になるのですが既に仕事も始まりまた必死です。
 
 『ホリーガーデン』の果歩は、3人以上で行動しないそうです。(中野君と仲良くなって、静江と3人で感じの良い、つまり当たり障りのないレストランに3人で行ったり、ピクニックに出かけたりしたのは本当に進歩)
 一方静江は、1ヶ月に一度昔の仲間(元カレを含む)と何人かで集まって居酒屋さんに行っておなかを膨らませてから2軒目に行くのです。集まるメンバーはその都度違う。しかし、出席率が高いことも何だか寂しいものね、って静江は感じる。(みな、結婚したり子育てするので出席率が落ちてくる年齢の28歳の小説です)

 静江は好きな人がいますが、東京に住んでいる静江、彼は岡山なのでそう頻繁には会えません。月1だったか、月2だったか、彼が東京に来たり、もしくは教師の静江が長期休暇に岡山に会いに行くのですが。然しながら相手は妻帯者ですから、私は本当に応援したくないです。この彼45歳なんです。28歳の静江を自由にしてあげてほしい。けれど、静江は、”ホープレス”に彼が大好き。(また何十年前の小説に苦しむ私)

 2人以上で行動しない果歩(つまり果歩にとって飲みに行くとは、バーなどでジントニックをごくごく飲むことで、静江にとって飲みに行くとは仲間たちと居酒屋でわいわいとなんでもいいから話をするということだった)を静江は、”戸惑わせたくて”この同窓会に果歩を誘ってみようかな、って思いつくのです。

 ある日、同級生のひとりと静江と元カレが一緒にいたとき、甘い匂いがお店から漂う。ふたり(静江と元カレ)はあの時の果歩の異常な姿が蘇る(ふたりともお見舞いに行っていた、甘いものに特化した摂食障がいの果歩)。

 何だかヘヴィーそうだな、って同級生の子がいって。

 大ヘヴィーよ。

 果歩のあのひどい失恋から、5年経っているので。
 静江は言う、元カレをみて。『5年経てば結婚もできるのにね』って。(元カレは既にご結婚されている。)

 元カレは思う、『5年あれば不倫もできる』

 果歩だけずっとそこに留まって進んでない。ヘヴィーのまま。
 そういうシーンでありながら、元カレはいまだに、静江の影響でクラシックを生で聴きに行くほど好きになり、静江は、元カレの影響により、いまだにトマトにマヨネーズをかける(元カレはすでに奥様の影響でやめた習慣)。

 何が書きたかったわけでもないのですが、果歩が5年前にひどい失恋をしたときに失った心が辛いなっていうのは一貫して思っており。

 長い間一緒にいて、そのさなかに、こちらが信じていたことが何も存在しなかったと気づくことは、すごい酷だなあって思って。

 私の話ですが、目の前でずっと泣いていて、何日も傷ついて泣いていて、数日後に、『なんで泣いてるのかまじでわからんかったわ~』と明るく言われることとか。

 誰かと一緒にいた時間が長くなればなるほど、心がちゃんと理解できてもらえないと傷は深くなるものだし。
 
 余談ですが、私は休職・退職を経て、就職を経験しており、また事前準備が異様に必要な事業に挑戦したため、1日の半分以上仕事に関わっている状態で今までに至ります(休みの日以外)。私は苦しかったです。精神科医に相談し、許可を頂いているので、無論チャレンジはする。でも近い人に理解してほしかった。毎日仕事の前には苦しい、もう無理かも、行きたくない(というけど、責任は必ず果たして帰ってくると知っている)。人の何倍も準備するからです。けれど苦しいときに、そういうことばに寄り添ってほしかった。けれど、いつも。
 
 『仕事は苦しいものでしょ。当たり前。』そういうことばだった。
 正論ですけど、正論で今乗り切れない心はどうなるんだろう、とは思っていた。

 必死で1時間のために何倍もかけて準備してくると、今はそこまでに時間を必要としていないんですよね。それは楽になった側面も多々あります。大前提としてあの何ヶ月かを乗り切ったから。自力で、そうは思うけど。
 今も明日は行きたくない、っていうのはあるのです。クライエントによりけり。

 そして、右往左往しつつ、思うのは、変な話だけれど、それでも、そういう、私を助けてくれようとした気持ちっていうことは嘘じゃないと思うなーって思って。鈍感だし、目の前で泣いてても通じない。勇気を振り絞って(耳が悪い)文章で何度か頑張って書いても通じない。
 何が良かったのか、私にもわからない。マイナスだらけの側面で、私は摂食障がいの自分を理解してわかってくれてて応援してくれて支えてくれてるって思ってたのですが、それが何もかも幻でしたが…

 それでもその人は私に時間とお金を遣った。そう思うんです。

 今例え、とても寂しくてすごいひとりかもしれない。
 全員が敵みたいに思う瞬間もあるかもしれない。

 けれど、誰が自分に会うために時間やお金を遣ってくれたのかなーって、考えると、そのこと自体に感謝じゃないのかなーって。
 お金を稼ぐとは大変です。私は何時間も事前準備して、時給で働いているので、毎月赤字です。

 案外月給とかで働いていると時給換算はしないけれど、私の今の労働はそこに直結します。すると、あの時、誰かが会いにきてくれたとか、時間を割いてくれたとかってそれだけで素敵なことだって思います。

 人が1対1で向き合うとそれはそれで酷なこともあるけど。

 自分に対して人が行動起こしてくれるって、マイナスじゃなくて、プラスで受け止めることと私は思います。ノートで読んでもらうとか、好きをもらとかもそうだと思っています。だから感謝して、明日も生きるし、仕事もがんばる。弱音ばっかり吐いたとしても。

 


 
 
 

 
 

 

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