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摂食障がいの克服303【居場所】
お仕事を終えて帰宅しました。
仕事の事前準備のクリアファイルは50個ほどに分類され、それぞれテーマ別に間仕切りにファイルしているので、1メートル近く…いえそこまでではないけれど、その半分以上にはなりました。
このお仕事を始めて今で5ヶ月になります。
この間私が事前準備にひたすら時間を費やし、時間給で働いてきたことは恐らくはここまで仲良くしてくださっている方に一番に伝わっている、摂食障がいの実情の次に現状での私の一番の真実ではないかなーって思っています。
*これまでできていた自炊ができない。
*自炊ができないとともにスーパーに行けない。ドラッグストアも無理です。
*日々の食べるものや日用品は、帰宅後に放心した後に、コンビニへ。
時間給でのお仕事で働き始めたことによって、支出が異様に増えました。
今まで書いたことがないのですが、私のケースでは、働かないほうが、まだ収入面では守られます。心がしんどかったケースなので。
前提としては、自分で努力したことによってですが、医師の診断書があり、私は働ける状態になってから就職活動をしています(結果的に就職活動が3件目で就職に至った)。ひとつは派遣会社登録、ひとつは実際の求人に応募、それから今の企業です。
非正規雇用です。
然しながら、ボランティアではないので。企業が企業の責任を果たすって大切なこと。私はこれでも数ヶ月、心が折れ続けてもいます。
働かないほうが、収入面で安定しているお仕事に挑戦するとすれば、それなりに守ってもらわないと。当初見込まれていた条件下では。
平和主義なので、ガンガン自分の主張はしませんが、さすがに時系列的に現状確認とともに、原状の改善およびアップデートをお願いしています。
もうそれからさらに月日が経ち。
近いうちに辞めるか、続けるかの決断をすることになります。
今日は出社しようかしないか迷いました。出社し、勤務完了しています。
雇用主はこの数ヶ月、非常にのらりくらりだったな、と。
私にとって、たった1日のカウントでも”something"なわけで、生きた心地がしなかった。そういう今日という日が積み重なっての数ヶ月の今日の現状です。
仮に私が仕事を辞めても、恐らくですが、ノートで仲良くしてくださっていた方であればわかってくださるのではないかなーって勝手に思っています。
この数ヶ月仕事をしているか、その(もっと長い時間)準備しているか、それだけだった。
それをノートで何より、誰に伝えるわけでもなく、毎日書いてきた。
愛情不足のこともたくさん書いてきて‥
すべてが真実で。
私はたまに、本当にたまに、今日は愛情不足じゃないかも?という日があるんです。友人にたくさん、辛いこととか聞いてもらったからかも。
『生きるためなら、どんな苦しみだって、表現していい』と許された瞬間だとか。
けれど、一旦”いい日”を書いたら、次の日からもっともっと、もっと辛くなることが、今は怖いです。
摂食障がいのことで言うと、本当に何度も書いているように、ど真ん中の苦しみとは程遠くに限りなく、本当に普通に近いです。これは嘘じゃない。
*拒食じゃない
*嘔吐じゃない
*普通体重である。
*過食しても概ね体重の前後は2キロ以内
というところで、回復について書いてきたのは嘘ではないです。
うつにしろ、摂食障がいにしろ、完治はない。
ふとしたことで、ふと環境が変わることで、もう一度苦しむ。
けれど、1からじゃない。耐性がある。だから、だから。
私は螺旋階段のように、って思っているんです。きっとぐるぐる回りながら上に登っていっているって。
けれども。ぐるぐる回ると下になることもあるから、一旦明るいことを書いたら、明日から暗いことを書けないんじゃないかって怖くなる瞬間も多々あります。大丈夫、そう思いながら怖くて、前向きなことを書くことが今は怖いです。
ふと明るい気持ちに今なると、怖いです。こんなままじゃない、またきっと。きっと、またあの精神状態になる。
家族のことを書いていて、また、恐らくまた書くこともある。けれども、わかってもいるんです。家族がいてよかった、って。
でもそれを書いてしまったら、また明日から苦しい際に、昨日と違う、ってなりそうで怖い。
だから誰もいないスタンスで、傷つく予防線は最大にしてしまう癖もある。
近いうちにお仕事を続けるのか否かはご報告させてください。ここまでふらりと書いていたけど、ふわりにしては月日が経ちすぎなので。
改めて思うんです。”楽しみって何?”そう友人に聞かれたとしたら、幸せな瞬間でも、きつい不幸でも、こうやってシェアできる場所がある、そういうことだって思って。それはやっぱり一朝一夕じゃない、ずっと毎日関わったからこそじゃないかなーって。つまり、居場所じゃないかな、って。
つまり、誰かの神様が、ひとりであれ、多数であれいれば、『居場所』だなーって思って。