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「トシの日曜」昭和からの絵手紙
僕の昭和スケッチ番外短編集1
皆さん、いつも「僕の昭和スケッチ」を見て頂き有り難うございます。
今日は、僕の昭和スケッチを始めるずっと以前に僕が描いた「昭和からの絵手紙」という作品をお届けします。
この「昭和からの絵手紙」は、今の「僕の昭和スケッチ」より文字数が多く、現在のようなエッセイではなく、短編小説の形式をとっています。絵も、文章に付ける挿し絵のような立ち位置となっています。
では、一話目・・・
「トシの日曜」
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トシの家は、野村という所にある大きな百姓屋だった。
ある日曜日の朝、親父に呼ばれて行くと、親父は広い縁側に座って足の爪を切っていた。 聞くと叔母の家に野菜を届けてこいという事だった。 その叔母というのはトシの親父の妹で、数年前に連れ合いを亡くして以降少なからず苦労をしていた。 トシの父親はそんな妹を不憫に思い、畑で採れた野菜を時折分け届けていたのだ。
親父に言われた通り大八車に野菜を積むとトシは出かけた。 叔母の家までは、片道2里(8キロ)程あり、これは一日がかりの仕事だった。
「ああ、魚釣りもしたかった…、近所の子どもらと三角ベースもしたかった…今日の休みはこれでつぶれたぞ…」
とトシは一人愚痴りながら揖斐川沿いを独りガラガラと大八車を引いた。
ようやく叔母の家に着いたのは昼時だった。
トシの顔を見ると、叔母は喜んだ。
「ごくろうさんじゃったね。麦飯しかないけど、上がって昼を食べていかんかね。久しぶりやねえトシ君、あんた大きゅうなって」
と言って叔母は本当に嬉しそうに笑った。
その叔母の笑顔を見てトシも思わず「へへ…」、と笑った。
「あんた、ほんとに上がってきゃあ、おばさんと一緒にお昼食べよかね。」
「うん、そんならワシの弁当と一緒に食べよか」とトシは答えた。
トシは叔母の家に上がり、丸いちゃぶ台に上に自分の持って来たアルミの弁当箱を置いた。弁当箱を開けると握り飯が三つ入っていた。タクアンも二つ入っていた。叔母も漬け物やら茄子の煮付けを出してくれた。麦茶も出してくれた。そして二人で分け合って昼を食べた。ついさっきまで嫌々足を運んでいたのが嘘のようだった。トシは来て良かったと思った。
だが、食べながら家の中を 見ると壁や床板が所々割れていた。 大黒柱を失った家は、無惨に荒れ果てていた。 そのトシの目線を見て叔母は恥じらうように目を伏せた。
小一時間程叔母の家で過ごしてからトシは帰路についた。
そして、帰りしなに揖斐川の河原で休憩した。
トシは川が好きだった。河原の大きな石の上に座ると、陽に焼けた石の熱がトシの尻にじわりと伝わってきた。ぼんやりと川面を見ていると、先ほどの叔母の事が思い出された。
「叔母さんは、子どももいず独りでどんな思いで毎日あそこで暮らしているのだろう…」
とトシは思った。
その時、向こう岸の川面で大きなウグイが跳ねた。暫く見ていると又跳ねた。今度は先より尚大きく、見事に銀色の躰をしたウグイだった。トシは立って河原に降りると、平らな小石を一つ拾ってウグイが跳ねた辺りを目がけて投げつけた。石は水面を二三度跳ねて水に沈んだ。ウグイはもう跳ねなかった。トシはやるせなく堤防に戻り再び大八車を引いて帰路についた。
帰りは荷物がないので行きより楽だった。
「この分なら早く家に着くな…」
と思った。
ところが、夕方近く、もうじき自分の村に戻るという所で烈しい雷雨になった。トシは全身ずぶ濡れになりながら大八車を引いた。道はすぐにぬかるみ、大八車が轍にとられてトシは難渋した。そして、堤防から村へと降りる坂の所で大八車を握る手がすべり、思いがけぬ早さでガラガラと坂を転げた。そして、勢い余ってトシはとうとう大八車ごと不様に泥水の中にもんどり打った。
泥まみれの膝や肘からは血が滲んでいた。大粒の雨が痛い程にトシの顔や肩を叩いた。しかし、むろん誰も助けてはくれない。周りには人っ子一人いないのだ。
トシは詮無く立ち上がり、大八車を引き起こして再び歩き始めた。
そうして、ようやく村の入り口まで来ると、トシの家の前に人だかりがあった。帰りが遅いのを聞き近隣の者が集まっていたのだった。時刻はもう夕刻を過ぎて辺りは薄闇に沈んでいた。電柱の裸電球が村の人々を影絵のように照らしていた。雨は、少し前に止んでいた。
トシが近づくと近所の者は安堵して喜んだが、親父はトシを叱った。
「何を遅くまでやっていた、タワケが親に心配かけおって!」
と。
トシは何か言いたげにしたが、歯をくいしばった。当時は何をしても親父に怒られた…そんな時代だった。
母親の方は、心配そうにトシに問いかけた。
「どうしたんやね、アンタ、泥だらけで…膝から血が出とるがね…可哀想に…」
そう言われるとトシの目からふいに涙が溢れた。
「まあ、とにかく風呂に入らなあかんわ…」
母親がそう言うと、トシが唐突に母親に言った。
それは彼女が、予想もしなかった言葉だった。
トシは、こう言った。
「おばちゃん、難儀しとった…おばちゃん、かわいそうや…!」
トシは声を詰まらせて泣いた。
すると、母親も声を震わせてこう言った。
「そうかね、そうかね…又、何か持っていってやりゃあ…。
まあ、泣かんでもええで…トシ…。おばさんも喜んどるわ。
あんたは、まず風呂に入って暖まらんと…」
そう言って、母親が優しくトシの背を押した。
その一 トシの日曜(了)
第二話「村の駄菓子屋」
第三話「英子」
第四話「兄と弟」
第五話「赤い看板」
第六話「冬の日」
第七話「用水人」
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*文/最終稿2023.07.04