気づいているけれど、認めたくないこと
今月、CORE塾では
バガヴァットギータは
第10章でした。
10章は
「全てはブラフマンである」の章。
全てはブラフマンである、
全ては愛である、
私の中ではこれは同義。
私たちは、
そもそも愛そのものですから、
「そうだった、
私は愛そのものだった。
私はブラフマンそのものだった」
と思い出すことができたなら、
なにひとつ怖れることはないし、
不安に感じることはないし、
なにも苦しむ必要がないことに
気付くことができます。
そんなシンプルなことなのに、
でも、私たちは
愛(ブラフマン)
そのものであることを認めず、
苦しみ、恐れの中にいることを
いつも選んでしまいます。
それはなぜなのか。
自分自身が
愛(ブラフマン)そのものだったと思い出して、
全体とひとつになること、
人と深く繋がることを
なによりも怖れているから。
でも、
それは無自覚に怖れていて、
自分は愛(ブラフマン)
そのものだと分かりたいのに、
でも分かりたくない、
そんなことを人生の中で繰り返します。
自分が愛そのものだと分かってしまったら
全体とひとつになってしまう、
(自分がなくなってしまう)
自分が愛そのものだと分かってしまったら、
目の前の人と深く繋がることになってしまう、
(自分がなくなってしまう)
その恐怖を感じることが怖くて
何か別の理由にすり替えて
私たちは分離した存在でいようと
人と距離をとろうとします。
こうして私たちは、
本当は、
全ては愛(ブラフマン)である
私は愛(ブラフマン)そのものである、
を思い出すことを
怖がっています。
この世界は分離の世界ですから、
この肉体がある限り、
分離の世界を生きるようになっていますが、
でも、
本当は、
私たちは愛(ブラフマン)そのもので
全ては繋がっていて、
そして、
誰も独りではないし、
生まれてからいつだって独りだったことなんて
一時もないのだから、
そしてこの先も、独りであることなんて
一時もないのだから、
本当に大丈夫なんだ、
ということに気付くと、
心が安心と穏やかさに満たされていきます。
バガヴァットギータの第10章の
「全てはブラフマンである」
そして奇跡のコースの
レッスン222
「神は私とともにある。私は神の中で生き、神の中で動く。」
レッスン223
「神は私のいのちである。
神のいのちの他に、私にいのちはない。」
は、同じことを指していますね。
私たちは愛(ブラフマン)そのものです、
思い出せば、
あらゆる怖れ、不安、苦しみが終わります。
シンプルだけれど、
すぐに忘れてしまってなかなか実践できない。
だから、瞑想の習慣をつけてください。
静寂の中にいる時間をつくってみてください。
引き続き、
素敵なGWを!
⊡■⊡■⊡■⊡■⊡■⊡■
▶2024年5月「個人セッション」ご予約空き枠
4月分はいっぱいになりました。
・5月20日(月)10時~12時、20時~22時
・5月21日(火)10時~12時、20時~22時
・5月22日(水)20時~22時
・5月28日(火)10時~12時
・5月31日(金)14時~18時、20時~22時
土日希望の方、
5月以降のセッションご希望の方は、
ご自身のご希望候補日時を3つ程度あげていただき、
公式LINE@までお送りください。
※セッションのお時間は上記時間内で、
90分~120分程度みていただき、
ご希望のスタート時間をお知らせください。
詳しくはこちらからどうぞ。
▶瞑想ヘッドスパニスト×アーユルヴェーダセラピスト養成講座
2024年6月スタート(満席になりました)
詳しくはこちらからどうぞ
●CORE塾・個人セッションへの
お申込、お問い合わせLINE@はこちら
●アーユルウェーダ専門サロンMyCocoonへの
お申込、お問い合わせ公式LINE@はこちら
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?