小人の人付き合いはベタベタ、君子の人付き合いはあっさりしている
「身体を調える」/「心を調える」/「魂を調える」
この3つのテーマで書いています
今日は「魂を調える」
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この週末は家から離れ、
少しのんびり過ごしています。
こうして、のんびり過ごそうと思うと、
途端に本が読みたくなります。
忙しくて読めなかった大量の本を
片っ端から読みたくなるものです(笑)
「人との付き合い方」「人間関係」に関して
荘子の言葉が紹介してありまして、
「ん!いいな」と思ったので、
書き留めておきたいと思います。
荘子は、中国戦国時代の思想家です。
醴とは甘酒のような
もったりとした甘い飲み物のこと。
つまり、
「モノゴトをわきまえていない
小人たちの付き合いはベタベタとしており、
その逆である君子の付き合いは、
水のようにあっさりとしている」
ということ。
さらに、次のように続きます。
つまり、
君子の交友は淡いからこそ続き、
小人の交友は甘いがゆえにすぐに終わる。
必然性や
お互いの成長や学びに繋がるわけでもなく
ただ一緒にいるために一緒に居るような付き合いは
すぐに終わる、
ということですね。
ざっくりの意訳ではありますが、
そういうことを伝えているようです。
小人の交わりというのは
「故無くして立つ」とあるように
そこには「自立」という観点がありません。
つまり、
お互いがお互いを依存している状況になっていて、
そこから抜け出せずに
ベタベタと付き合っているということになります。
このような関係、あるあるです、想像つきますよね。
つまり、荘子のいう
小人というのは、
自立できず、
他者に依存し続けることでしか
自己の存在を確認できないという人、ということになります。
たとえば、表面的には
「人のため」「社会のため」という建前で
本人自身もそう思いながらも、
実は心の奥底では
自分の価値を認めてもらいたい気持ちが強いため、
もっと認めて欲しい、
もっと欲しいがずっと続くため
やってもやっても満たさず、
結果的に自分自身を苦しめてしまいます。
君子は自分で自分の価値を認めて、
自分で自分を満たして、
自分で自分を愛している人、ですね。
この世界は全て愛でできていることを
理解していて、
私はあなたであり、あなたは私であるを
理解していて、
だから
自分を愛することは、
人を愛することに繋がっていて、
自分の価値を認めることは、
他人の価値を認めることになるが
体感覚として分かっているのが君子。
君子が増えれば、この世界は平和になる、
ということ、
昔も今も、言っていることは同じですね。
君子に近づきたいものです。
先月のCore塾のシェアの会でも
「自立とはなにか」というテーマで
皆さんでシェアをしましたが、
まさに、
この「小人」と「君子」のような話がでてきていましたね。
本当の意味での自立とは、、、
改めて考える時間になりました♪
また「自立」に関しても、
皆さんでシェアしたいですね!
どうぞ素敵な週末を♪