「ハイスイノナサ」というバンドの話
どうも、時には音楽オタクのkです。
自分、基本的に意識のあるうちは昼夜問わず基本的に何かしらの音楽を聴き続けておりまして、その内泳いでいないと死ぬマグロの域に到達しそうな重篤な音楽好きなんですが、今回はそんな自分が全人類にオススメしたい最高なアーティスト「ハイスイノナサ」について、余すことなく紹介したく、記事を書き始めた次第です。
クラシックからプログレメタル、アニソンからオペラまで、とにかく音楽を聴きまくった自分ですが、これほどまでに啓蒙的だったのは、後にも先にもハイスイノナサだけでした。
少しでも魅力が伝わるように頑張るので、ぜひ読んでやってください!
出会い
大学で軽音楽部に入り、本格的にギターを始めた2013年の夏頃、自分は基本的に一日中部屋に引き籠ってギターを弾き続ける生活を送っていました。そんな自分の世界が広がるきっかけとなったのは、まさかのゲーム実況動画。ダクソ実況で有名なのふぅさんの動画で流れていたその曲は、ハイスイノナサの「ハッピーエンド」でした。
イントロから耳に飛び込んでくる、変拍子だけどキャッチーなカッティングのリフ。度肝を抜かれました。なんだこれは。
曲を進めていくと、躍動感のあるドラムと、対照的に浮遊感のあるボーカルとキーボードが完全に溶け込んだ、これまで全く聴いたことのなかったアンビエントなBメロの飽和感に一気に引き込まれました。
クラシックから音楽に入った、インストが好きな自分にガン刺さり。
このアーティストは一体何者なのか、他の作品は何があるのか気になってしまい、完全に天啓を得た当時の自分は、人生初のAmazonで当時発表されていたアルバム全作を購入してしまいました。
「アート」としての総合力
「バンドの紹介って言いながらなんやねん」って言われてしまいそうなんですが、およそ音楽を聴いている感覚ではなかったんですよね笑
購入したアルバムを聴いていると、次第にモダンでミニマルで無機質なインテリアというか、洗練された都市の建造物のような、どことなく空虚な「空間」が見えてくるような感覚になり、「なるほど、これは音楽という形の現代アートなんだな」ということに気が付くのにそう時間はかかりませんでした。
そんな唯一無二の「ハイスイノナサ」サウンドを代表する曲が次の3曲です
YouTubeやストリーミングサイトでもトップの再生数を稼いでいるのがこの「地下鉄の動態」です。聴覚と視覚が極限まで緻密に融合されたこのPV、非常に印象的ですよね。まるで映像から音楽を導き出したようです。文化庁から表彰されるのも納得(日本も捨てたもんじゃない…!)、海外からの評価が高いのがコメント欄からも窺えます。
これも、単純に「マスロックというジャンルが歌(≒日本語)を主軸に据えていないから」というわけでなく、音楽の域に留まらない、芸術としての総合的な解像度の高さがこの曲を国内外、ジャンルへの関心の有無など、多方面においてボーダーレスな作品へと昇華させた大きな理由なのではないでしょうか。
…どうでもいいんですが、細かく刻んでいるハイハットは、電車が淡々と街中を通過している様子だと思ってるんですが、合ってますかね…?(感受性の低さを露呈していくスタイル)
次に、シングルにもなっている「reflection」。
同バンドの楽曲の中でも際立って無機質なサウンドメイクが特徴で、特徴的なPANの振られ方や、曲名通り乱反射するかの如く、細かく散りばめれた各パートのフレーズが「静」と「動」を演出。コンテンポラリーを通り越して、「実験的」と呼びたくなるナンバーです。音の美術館とでも言うんでしょうか。個人的にハイスイノナサといえばこの曲です。
ちなみに、このシングルの1曲目にMirrorという曲があるのですが、reflectionはこのMirrorをエディットして作成されたそうです(全然わからん…)。3曲目のin motionは打って変わってベースとドラムのノリが良い動的な作品なのも、何か意図を感じてしまいますね。
最後に、logos。こちらは是非ライブ映像で堪能していただきたい楽曲で、前述の2作品のPVを手がけた大西景太氏による映像が背景で流れています。
個々の演奏能力の高さがうかがえる曲で、うねりまくる照井兄弟のディストーションサウンドに、「リズム楽器とはなんだったのか」と言いたくなるような超絶ドラミングが展開を作る、ハイスイノナサ屈指の難解なトラックです。プレイヤー目線では、この曲が何故生演奏で成立しているのか、全く持って意味がわからないですね。キーボとボーカル、音数も少ないしマジでどうやってカウント取ってるんだろう…
余談ですが、「残響レコード」の枠からハイスイノナサを知った方は多いと思いますが、logosは特に残響っぽさを感じるんじゃないでしょうか。リリース当時の2012年頃は全盛期でしたよね。
ベクトルが近いと感じた曲は他にもあるので、是非サブスクなんかで聴いてみてください!
「無機質」で終わらない表現力
ここまで「The・ハイスイノナサ」な曲をご紹介しましたが、いかがでしょうか?まるで商業音楽へのアンチテーゼと言わんばかりの前衛的な楽曲ばかりなので、ここからは前述の実験的サウンドから、少しとっつき易い(であろう)曲へとシフトチェンジしたいと思います。
ジャケットの梟の剥製が独特な雰囲気を醸し出す「動物の身体」。イントロ然り、ちょっとエレクトロニカっぽさのあるノイズが、透明感がありつつも柔らかなピアノの有機質さを引き立てているように感じます。
このアルバムの楽曲は写真で言うと露出が高めというか、全体的に光のような暖かみのある音色が印象的で、ボーカルワークをとっても、高音域のファルセットが多用されている初期の曲と比較すると、地声の柔らかさが活きた、有機的な曲が増えているように感じます。正にハイスイノナサの集大成と呼ぶべきアルバムで、他の収録曲も比較的聴きやすいと思うので是非聴いてみてください。
次に、「想像と都市の子供」です。オープンDチューニングのアコギとピアノが織りなす空想的な世界観が印象的な、優しいメロディのナンバーです。この曲を聴くと、水中都市の中から光が射し込んでいくのを眺めているような、そんな暖かな風景を想像しちゃうんですよね…
ちなみに、このアルバムは唯一サブスク解禁されていない作品です。何故…
さて、元々の抽象度からBGM性能は高いと思うのですが、ちょっと聴き慣れてくると、曲名やサウンドから浮かび上がってくる情景に納得感を覚えるというか、どことない耳心地の良さを感じませんか?
次のセクションではそのメカニズムについて、私なりの解釈をまとめてみました。
“logos”の体現者としてのハイスイノナサ
同バンドのコンポーザーで、私が敬愛して止まないギタリストの照井順政氏は、インタビューで自身の作曲スタイルについて、以下のように振り返っています。
要約すると、ハイスイノナサって一見難解なようで、テーマとしては実はすごく素直で、ある事象や景色等の視覚的な像がゴールとして存在し、それらを音として変換した音楽であることが読み取れますね。おそらく、先に組まれたコード進行に肉付けをしていく、といったような既存の手法は取らず、クラシック音楽とか、所謂パッケージ的な作曲技法が確立されていない時代に近い、より根源的なフィールドで曲作りをしているのではないでしょうか。
で、「結局何が凄いんだっけ?」という話なのですが、この「fromモノ・コトto音」の切り口から曲を作っているアーティストは他にもいるにしても、情景の解像度の高さとアート的な抽象度を両立させた状態でアウトプットすることにおいて、ハイスイノナサの右に出るアーティストはいないと思います。
前述で「logos」という楽曲を紹介しましたが、これは主に哲学で登場する「万物を成り立たせている根源的な秩序や理法」と言う意味のギリシア語が由来となっていると思われます。
あの難解な曲が何を表しているのかずっと気になっていたんですが、ハイスイノナサが「視覚的芸術の音源化」というテーマを持った集団であることから、自らその世界観を構成するlogos(≒理法)を体現すべくして存在するバンドであり、複雑に絡み合うlogosのリフって、この辺りの人間の思考回路なんかを暗示しているのでは、自分は解釈しました。
ハイスイノナサの楽曲は独自の言語とも言えるレベルまで昇華された存在で、この変換プロセスこそが共感覚を呼び起こす音像を創りあげる上での最大のポイントなんですよね。もっともっと深堀したいところではあるのですが、メンバーが何を考えてフレージングをしているのか、こればかりは頭の中を覗いてみるしかないのが歯がゆいところです。これだけ抽象的な世界観が全て計算され尽くされて作り込まれているのは、俄には信じ難いです…
誰か歌詞の解釈集とか乗っけてくれないかしら。
「地図にない街」と実質的な活動休止
ここまでその魅力を紹介してきたハイスイノナサですが、2015年の「変身」のリリース後、2017年8月のTwitter更新を最後に、事実上の活動休止状態となっています(2021年6月末現在)。
ボーカルの鎌野愛さんの脱退による編成の変更も影響しているような気もしますが、丁度この時期から照井氏の活動が多角化していることもあり、新メンバーを募ってライブ活動自体は続いたものの、シンプルに自信の音楽制作に割けるリソースが不足してしまったのだと思っています。
代表的なのはマスロック界隈のみならず、アイドル業界にまで旋風を巻き起こしたsora tob sakanaですよね。解散ライブはもちろんクラファン全投資しましたし、いい歳して1週間は凹みました。他にもsiraphでのバンド活動や、各種楽曲提供、最近ではアニメ『呪術廻戦』の劇伴も担当されており、毎月照井氏本人に直接サブスク献金したいレベルの信者としては心の底から嬉しい限りなのですが、やっぱり原点の顛末が気になるのです。
最後にご紹介するのは、現時点での最後のリリースとなったシングル「変身」からの1曲です。
「地図にない街」
正直、この曲について思いの丈をぶちまけたいがために、今回の記事を書いたと言っても過言でありません。
ハイスイノナサの楽曲では「都市」や「街」が頻繁にテーマとして登場しますが、どれも賑やかな街を描いていないんですよね。大きなビル群の中、まるで世界に自分しか存在しないような、夜明け前の薄明を想起させるような曲が多い印象ですが、「地図にない街」はその極地です。終始美しい。なんなんだこれは。
特に、儚げなギターのアルペジオと零れ落ちるようなピアノの旋律から一気に展開する壮大な大サビ、何度聴いても感涙極まりますね。
この曲は音源のリリースからPV公開までに時差があったんですが、最初に聴いた時から、まさに大サビ直前のCGの映像の通り、まるで崩落していく世界の最期を眺めているような、空虚で物悲しい情景を思い浮かべずにはいられませんでした。
何故この曲を最後に紹介したのか。
正直、これまでずっとハイスイノナサの活動再開を待ち続けていましたし、自分には珍しく期待をしていました。SNSでのサーチは勿論、メンバーの活動は逐次チェックしていましたし、曲も聴き続けていました。
そんな中、複数の場面で現状活動は再開できないというご本人達の声を目の当たりにしました。
不思議とショックはありませんでした。
というのも、メンバーの、特に新進気鋭のクリエイターとして注目度が高くなった照井氏の活動が多角化していくのを眺めていくにつれ、以前のように照井氏の納得のいく形で、おそらく産みの苦労が多いであろうハイスイノナサを進めることは困難なのではないか。
崩落し、再構築されていく街は、ハイスイノナサそのものだったのではないか。
何回もこの曲を聴くうち、いつしか、そんなことを考えるようになっていました。
「ハイスイノナサとしての全ては、この曲で出し切った」
「地図にない街」を最後に紹介したのは、たとえこの曲がハイスイノナサとしてまだ道半ばの作品であったとしても、自分はその答えを納得して受け入れることができると思ったからです。それだけ自分にとっては素晴らしく、特別で、アート観を彩ってくれた、掛け替えのない一曲です。
最後に
楽曲紹介を中心に書くつもりだったのが、随分長々とした記事になってしまいました。この記事がどれだけの方の目に止まるかわかりませんが、後半は音楽オタクには多少なりとも共感いただける部分があったらいいなぁ〜とか思ってます笑
そもそもこんな考察めいたことを行うのは自分でも初めての経験で、まだまだ感覚値の、表面的な要素にしか触れられていない、浅い出来だなとは自覚しています。音楽理論的な評論や、今回スルーしてしまった歌詞からの考察もできるようになりたいですね。美術に関しても知識が無さすぎる。誰か教えてください笑
とはいえ、思いの丈をぶちまけることができたせいか、今めちゃめちゃ晴れやかな気分です。個人的にはハイスイノナサに対する思いは一区切りついているつもりなので、照井氏や他のハイスイノナサメンバーの今後の活動に楽しみに、引き続き音楽ライフを生きれてたらなぁと思っています。
また今度、オサカナやsiraphについても書いてみたいな。school food punishmentも良いね。
明日は何の曲を聴きながら過ごそうかな。
<参考リンク集>
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