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【白の闇】見えなくても見えていること、見えているのに見えないと思っていること

「いいえ、先生、わたしは眼鏡もかけたことがないのです」。突然の失明が巻き起こす未曾有の事態。運転中の男から、車泥棒、篤実な目医者、美しき娼婦へと、「ミルク色の海」が感染していく。
善意と悪意の狭間で人間の価値が試される。ノーベル賞作家が、「真に恐ろしい暴力的な状況」に挑み、世界を震撼させた傑作長篇。

ジョゼ・サラマーゴ「白の闇」あらすじより

読み終わってからしばらくの間、その世界から抜け出せなかった衝撃作。

少し前に読んだ同じくサラマーゴの「象の旅」で、彼の書く文体や構成力に唸らされ、手に取らずにはいられなかった本書。

ある日突然失明してしまう「ミルク色の海」の感染が急拡大し人間としての尊厳を失うことになった者たちの、極限状態の秩序もルールも存在しない世界がこれでもか、これでもか!というほどに描かれている。
そしてただ一人の女性だけが視力を失わず、人々が本性を剥き出しにしていく姿を目撃し続ける、というストーリー。

臭いまでも漂ってきそうな目を背けたい場面の数々。
これはヤバいものを読んでしまった。

「白の闇」を出版した3年後の1998年、サラマーゴは76歳のときにノーベル文学賞を受賞している。

「象の旅」でもそうだったように「白の闇」の文中には鉤括弧が一つも出てこない。
小説としてはかなり異色に思われるが、実生活で人と会話するとき、心の中に「鉤括弧」なるものは存在しないではないか、とふと思い立つ。

そして、この本では登場人物の誰にも固有名詞としての「名前」がない。
「医者」とか、「医者の妻」とか「サングラスの娘」とか、「最初に失明した男」といった、無名の人間、個を失った人間として描かれている。

この特殊な二点の特徴によって、すべてが「あの国の誰か」の話なのではなく、今いるここから地続きで起こっている出来事のような錯覚を覚え、単なる物語の中の登場人物としてではなく、そこら中にいる生身の人間たちに起こっている生々しい事象として我が身にもにじり寄ってくるような印象を受けた。

隔離され、政府や国から打ち捨てられ、徐々に人としての尊厳を無くしていく人々と、それをすべて目撃している一人の女性の苦悩。

ラストに向かって、人々が無くしかけていた尊厳を取り戻し、人間世界へと戻っていく僅かな光のようなものが見えた気がして、少しだけホッとした。

見えないのに見えていること。
見えているのに、見えないと思っていること。

今の世界とも繋がっている気がして、終始ゾワゾワザワザワしながら読んだ。

さらに深い分析や紹介は、読み込みの天才「卍丸」君の記事を読んでみてほしい。
彼にはサラマーゴのこと、その読み方、読みながら聴くと良い音楽まで教えてもらった。

彼の記事でも紹介されているけど、続編の「見えることについての考察(未邦訳)」も読んでみたい。
(「白の闇」の原題が「見えないことについての考察」)

next サラマーゴは「だれも死なない日」予定である。
これも、近日中に。


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