mu@歴史

はじめまして!私は歴史がとても好きで、皆さんと共にに歴史について学んでいけたらと思います。主に戦い系の作品を投稿しようと考えています😁#歴史文化学科の大学生#フォロバ100%#サッカーも大好き

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源氏台頭への道標!!前九年の役について~会話文形式でわかりやすく~

歴史創作としてお読みください! 1、登場人物藤原登任(ナリトウ)、後冷泉天皇、源頼義、源義家(頼義の息子)、金為時、藤原景季、佐伯経範、清原光頼、清原武則(光頼の弟) VS 安倍頼時、安倍貞任(サダトウ)、安倍富忠(頼義側に裏切ってしまったやつ)、藤原経清 2、背景陸奥国の有力豪族である安倍氏は陸奥国内に柵や砦を築いて半独立国家を形成していた。その中の11世紀半ば、安倍氏は朝廷への納税を怠るようになった。 ~陸奥国府~ 藤原登任(陸奥守)「安倍氏めーー!!朝廷への

    • もとは海賊を取り締まる役目だった?!藤原純友の乱について~会話文でわかりやすく~

      歴史創作としてお読みください! 1、登場人物藤原純友、藤原文元(純友の幹部)、藤原純乗(純友の弟)、 ✖ 小野好古、橘公頼(大宰権帥)、大蔵春実 2、背景930年頃から950年頃にかけて瀬戸内海で海賊による襲撃事件が頻発していた。その中で藤原純友は父を早くに亡くし、出世の道をすでに立たれた状況に置かれており、伊予という現在の愛媛県へ海賊を取り締まるという役割で送られていた。しかしながら、純友は939年、伊予国日振島を本拠地に置き、突如瀬戸内海の海賊を従えて反乱を起こし

      • 実際は慕われていた?!平将門の乱について~会話文形式で~

        今回は地図とか相関図入れてみました!歴史創作としてお読みください! 1、登場人物平将門、興世王、藤原玄明、 VS 源護(常陸国司)源扶、源隆、源繁、平国香、平良兼、平 良正、藤原秀郷、平貞盛、源経基、藤原惟幾(常陸国受領) 2、背景 (暗くてすいません。国香が一番上の兄です。) 平安時代、地方に派遣された下級貴族や豪族たちは「武士」と呼ばれ、勢力を広げており、それらが家来を集めて武士団を形成していた。その中の930年頃、父である平良将の死去により、平将門は朝廷か

        • 僅か1週間で急転落?!764年恵美押勝の乱について解説~会話文形式でわかりやすく~

          1、登場人物恵美押勝(藤原仲麻呂)、光明子→父は藤原不比等で聖武天皇の妻、淳仁天皇 × 道鏡→僧侶、孝謙太上天皇、吉備真備、佐伯伊多智(サエキノイタチ)、石村石盾(イワレノイワタテ) 2、背景この乱が起きる数年前に遡る。恵美押勝はまだ藤原仲麻呂と名乗っていた。 ~平城京内~ 藤原仲麻呂「ハハハハハッ、今や私がこの朝廷を牛耳っている。何も恐れることはない!ガハハハッ」 光明子「そうですな^^」 藤原仲麻呂「それもこれも光明皇后のおかげ。これからも何卒よろしくお願い

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          怨霊となった?!藤原広嗣の乱について~会話形式で分かりやすく~

          1,登場人物藤原広嗣:藤原式家の出身  聖武天皇  橘諸兄 玄昉と吉備真備:橘諸兄政権において大出世 大野東人、佐伯常人、阿部虫麻呂:乱の終結に貢献した政府側の官人  2、背景藤原四子(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)が天然痘で死去した後の739年、朝廷の政治は橘諸兄が担っていた。この橘諸兄は唐から帰国した吉備真備と玄昉を重用したのである。 藤原広嗣「わが父を含む藤原四子が死去してから諸兄が朝廷の権力を牛耳っている。これは全く許せぬことじゃあああああ!それに加え、諸兄が重

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          恋によって引き起こされた?!壬申の乱の原因について

          前回の続きです! 1、壬申の乱の原因3つ説があります。 ~皇位継承問題~ これが一般的な論です。当時の皇位継承は母型の血を大事にしていました。その中で、大海人皇子は父親(舒明天皇)と母親(皇極天皇)が両方とも天皇であり、天皇になるには最高の血筋だったのです。一方、大友皇子の母親は女官だったといわれています。順当にいけば、天智天皇の弟である大海人皇子が次の天皇だったのですが、天智天皇は自分の息子である大友皇子を後継者として指名します。ここで命の危険を感じた大海人皇子は出家

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          壬申の乱

          壬申の乱について解説していきます! 1、登場人物天智天皇、大海人皇子(天智天皇の弟)、大友皇子(天智天皇の息子)、大海人軍の武将の大分稚臣 2、背景671年、天智天皇(旧名:中大兄皇子)が亡くなった。 天智天皇の弟の大海人皇子は、天智天皇に命を狙われてため出家して吉野(奈良県)にいた。 大海人皇子「兄上が亡くなられたかぁ。次の大王の座を取るために戦の準備をしなければ。」 大友皇子(天智天皇の息子)「叔父に大王の座は渡さぬ。」 ~半年後(672年)~ 大友皇子「兵

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          白村江の戦いについて

          白村江の戦いについて解説していきます! 1、背景(660年) 唐「618年に建国して以来着実に勢力を伸ばしてこれましたなぁ。」 新羅「そうですなー。655年に高句麗、百済から攻撃されたときは非常に危うい状況でしたが、唐の援助で立ち直り660年には百済を滅ぼすことができました。ガハハハッ。より一層友好な関係を深めていきましょうぞ!」 百済では復活に向けて動き出していた。 百済の生き残り「よくも我が百済を滅ぼしてくれたなァ!日本に援助してもらい百済の復活を目指すぞー!」

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