【カウンセリング体験③】終わっていない恋愛
親族との決別
だんだんこのカウンセリングに来るのが楽しみになってきた。5回で1クールなので、もう折り返し地点だ。
カウンセラーさんの宿題についての私の答えは。2つの抱えている対人関係の問題について、私自身がどう決着するか。
母親らが今の状況にならざるをえなかった使命はなにか。簡潔に言えば、彼女らも、歪んだ愛情や家族関係のもとで、自らを守るためにそうならざるを得なかったのだ。好んでそうなったわけではない。
それは理解するけれど、私はその中でも生き抜いてきた。逃げや甘えで人を頼るのは、私からすれば虫がよすぎる話だ。口にするのは倫理的にはばかれたけれど、「母親らとは縁を切りたい。消えて欲しい。」そう、口にした。
口にすることに罪悪感を感じたけれど、これが本音だ。儒教的な道徳心と自分の感情の葛藤で苦しんでいたのだと思う。
終わっていない恋愛
もう一つの宿題。元カレとの思い出をどのような箱に置いておくか。この宿題は結局答えが見つからないままだった。みつけようがなかった。
家族関係と違い、この年で、恋愛の話でいつまでも悩んでいるのは恥ずかしいという思いと、カウンセリングで話すことに抵抗があって、あまり詳しく話さないできた。でも、そういった家族関係だったからこそ、彼は私の人生の救世主だったのであり、避けてはとおれない重要人物だ。カウンセリングを受けようと思った本当のきっかけは、やはり彼との別離の苦しみからの抜け道を暗中模索しながら探していたのだと気付いた。
ありのままのことをたくさん話した。私なりに分析して、話した。
カウンセラーさんの言葉に、いのちの電話や、見ず知らずの電話占いに頼ったりせずに、どうしてもっと早く、こういった場所に来なかったのかと後悔した。毎日、毎日、自分の中で答えを反芻して、自家中毒を起こしていた。彼と付き合っている時に、ここを訪れていれば、もしかしたら、離れ離れになることもなかったのかもしれない。
彼が離れたのは、一言で言えば、予定調和が崩れたことによるパニック。余裕がなくなった。その通りだ。「しばらく放っておいてくれ」と言われたのに、彼が離れていくのが、怖くて、しがみついた。毒親育ちの見捨てられ不安かもしれない。
どうして、彼をそっとしてあげられなかったんだろう。彼の「2年後に会ってみるくらいでいいんじゃない?」と言う問いに、なぜ「そうだね」って言ってあげられなかったんだろう。「再会したら、ビジネスパートナーでもいいんじゃない?」と言う提案に、「それもいいね」って、どうして言ってあげられなかったんだろう。
とても箱に入れられる状況じゃないと話した。カウンセラーさんは、「まだ終わっていないから。終わってないものは箱に入れられないでしょ」といい、このように分析した。彼自身が2年後というキーワードを出したのであれば、1年後、よりが戻る可能性がある。いくつか彼との関係性における注意点や、私がするべき行動などを教えてくれた。とても納得がいった。涙がとまらなかった。
時間を巻き戻すことはできないけれど、もし修復できる可能性があるのならば、今度はそのように接したい。たとえ男女の関係性でなくても、志を同じくした戦友として、人生関わっていきたい。私の現時点の結論は、どちらにしても、もう一度会いたい。会って、握手をしたい。
究極の選択
次回の宿題は、彼と続けていくか、であれば、どのような関係性を築いていくか。それとも、別の恋愛に目を向けるか。
究極の選択だ。果たして自分なりの解が見つけられるだろうか。白馬に乗った王子様でも現れるのであればだが、年齢的に周りは既婚者ばかりだし、行動しなければ出会いはない。私のような個性の人間に心底共鳴してくれる男性はそこそこいない。そのような中で運命的に出会ったのが彼だったのだ。
一人で1年間も、ぐるぐる同じようなことを考えていた。臨床心理士という職業は、本当にたくさんの知識や経験を持たれ、客観的な分析で、本当に素晴らしい、と改めて思った。私が出会った、このカウンセラーさんが、特別なのかもしれない。実はこの方も、noteを書いていた。なんでも調べる検索マニアの私は、見つけてしまった。そこには生い立ちなども書かれていて、とても風変りな苦労した幼少、少年、青年時代を過ごしていた。だから、最初のカウンセリングで、「私も同じですよ、勇者でなければ生き抜いてこれなかったんですよ」との言葉だったのだ。noteの記事を見たことを話そうと思ったが、カウンセリングの状況を記事にあげている手前、なんとなくバツが悪く、今回も言い出せなかった。また、このnoteの記事は、表向きの演じている自分と違う本質の自分を吐き出す場でもあり、リアルな関係者にはシークレットで書いているからだ
出会いも別れも、全てはご縁
このカウンセラーさんとの出会いも、ご縁だ。彼との出会いも、ご縁だ。それぞれ、会うべくして必要なタイミングで出会ったのだと思う。彼は、医療従事者だ。最前線で闘っている。あの時、別れていようがいまいが、どちらにしても、コロナ禍で、それまでの付き合い方はできなかったに違いない。一時休止か永遠の別れかは、まだわからないが、あのタイミングで離れたことは、どちらにしても必然だったのだと思う。ラブラブの最中に、コロナ禍で行き来できない状況は、それはそれで苦しかったに違いない。
さて、次回の宿題は、だんだん問題の核心に迫ってきた。夏休みの宿題だ。私は「夏友」(古い)は早めにやってしまうタイプだった。夏休みの最後、あせらず満喫したいからだ。自分の傷口を開く宿題だけれども、これからの人生を満喫するために、人生の夏バテをせずに、このお盆ウイークは宿題に取り組もうと思う。