②マルチスポーツの効用について
おさらい
前回はマルチスポーツという聞き慣れない単語の定義やその考え方を概観しました。
今回はマルチスポーツの実践により期待される効果とあまり着目されない懸念点をひとつずつ深堀りしつつ、その他に考えうる社会的効用についても考察していきます。
期待される効果
各スポーツにおいて、鍛えられやすい筋肉の部位は異なります。
全身をバランス良く鍛えたり、総合的な運動能力を向上させるためには、複数の異なるパターンの運動を行うことが望まれます。
一つの競技に専念すると動作や使用部位に偏りが出る場合がありますが、マルチスポーツによって多様なパターンの動作経験を積むことで総合力や応用力、体の使い方が上手になる効果が期待できます。
NSCA(全米ストレングス&コンディショニング協会)が発表した「青少年の長期的な身体能力の育成に関する声明」においても、早期の競技特化によって特定の部位に過度なストレスが長期間かかることのリスクが取り上げられています。
合わせてマルチスポーツに含まれる「運動の多様性」の考え方により、力のかかる点の変化・分散を図ることができ、傷害リスクが低下すると報告されています。
中長期的な選手生命の最大化やパフォーマンスの観点からも、身体の発達がある程度進行したタイミングで、特定競技への専門化を図っていくことが好ましいとされています。
燃え尽き症候群(バーンアウト)とは、高い意欲を持っていた人が何らかの原因によってある日突然やる気を失い、文字通り燃え尽きたかのように無気力になってしまう状態のことを指します。
トップアスリートにおいて散見される症状でもありますが、医学的にはうつ病や適応障害の一種として分類されており、メンタルの強さは発症の有無と無関係とされています。
ユーススポーツでもしばしば燃え尽き症候群が問題視されることがありますが、その多くの症例は一つの競技に専念している児童に見られます。
複数のスポーツに取り組む中で、他に選択肢があることを認識できると、予防に効果があるとされています。
複数のスポーツをすることで、ひとつのスポーツの練習に飽きることなく長く楽しめることが期待できます。また、種目が変わったり、属するコミュニティが変わることで、関わる人の多様性も格段に向上します。
その中でどのようにコミュニケーションしていくかを学んだり、異なる競技を比較して相対化をしたりする機会が増えることは、子どもの発達にとってもプラスに働くでしょう。複数の競技を通じて、自己認識やメタ認知の力を高める機会とできるのです。
一度経験したスポーツは年を取ってからも再度始めやすく、運動習慣などのヘルスケア文脈でもポジティブな側面が認められます。
雨天の際にも、屋内スポーツは活発に活動することができます。
野球やサッカーなどの屋外スポーツ競技では、雨天時に筋トレなどの基礎トレーニングなどを行うことが一般的ですが、その際にマルチスポーツの考え方を取り入れる余地は十分にあるでしょう。
複合型スポーツ施設の整備なども進んでいきますが、必ずしも全員がアクセスできるわけではありません。
まずは各指導者が場所やこれまでの固定観念にとらわれず創意工夫をもとに実践の道を見出すことが重要かつ現実的との認識です。
あまり語られない懸念点
参照記事においては、幼少期に「多用な運動をすること」と「多様なスポーツをすること」は同じではないとされています。
その理由として、幼少期の「身体の基本動作習得」の大切さがあげられています。身体の発達が未熟な子どもには、本格的なスポーツをするための準備が整っておらず、特定スポーツの技術を高いレベルで習得するのはとても困難なことなのです。
そのような越えられない技術の壁は、子ども達の自己肯定感を下げてしまい運動離れの原因にも繋がると警鐘を鳴らしています。
まず基礎運動能力を向上させるためにも、足だけの運動、手だけの運動ではなく全身的な能力を高めなければなりません。そのために「多用な運動をすること」が求められていると言えるでしょう。
ただでさえ、日本のスポーツ活動は練習のし過ぎが問題視されることが多いです。練習努力の量・質・方向性のうち、指導しやすい「量」に重きが置かれてきたことが要因の一つと考えられます。
複数の競技を並行していると、それぞれの運動による疲労や負荷のマネジメントが難しくなるため、この問題に拍車がかかる可能性には留意が必要です。
早期の競技特化、いわゆる早期専門化にはメリットと考えられる要素があります。それは練習や創意工夫の時間を確保しやすくなるという、ある種当たり前のものです。
特に、環境の変化が少なく動作が安定している「クローズド・スキル」がメインになる競技においては早期専門化による恩恵が大きいとされています。実際にマルチスポーツを推進している諸外国においても、13歳以降になってくると、フォーカスする競技を一つに絞っていく動きは珍しくありません。
この点を考慮する際に重要となるのは、マルチスポーツはトップレベルのアスリートを生み出すための施策ではなく、均整の取れた発達や生涯にわたって運動に親しむ人を増やすための施策であることの再認識である、と私は考えています。
この点もまた当然生じてくる問題です。経済格差が体験格差を生む可能性はスポーツにおいても同様となります。
公教育など間口が広いアクセスの機会や、用品の整備などにかかる費用の補助などが求められているとの認識です。
公的制度や業界団体による包括的な支援の役割が果たすものは大きいでしょう。競技振興にもつながるところであるので、各団体やプロアスリートによる取り組みに大いに期待したい点でもあります。
マルチスポーツの社会的効用について
先ほど参照記事としてあげた日本テレビ運営のドリームコーチング・マガジンにおいても、児童の運動習慣の減少や運動能力の低下が、マルチスポーツ促進の前提として取り上げられています。
スポーツ庁のWeb広報マガジンにおいても、6歳までの幼児期における運動習慣がその後の運動能力(体力テストなどの結果)に影響を及ぼすことが紹介されています。
遊びを通じて運動することや、楽しいと感じるスポーツを探索するマルチスポーツの考え方を普及させることにより、運動習慣を増やす第一歩となるポテンシャルがあります。
少子高齢化により児童が減少するにも関わらず、学校部活動に関する業務負荷の課題はなかなか改善されていないのが現状です。
地域スポーツクラブへの移行が進んでいくのと同時に、学校部活動においてもシーズン制の導入により、オフシーズンを先生たちにも提供しより改善のスピードを早められるのではないでしょうか。
合わせてマルチスポーツの機会提供にもつながる施策になるため、一考に値すると考えています
その他にもマルチスポーツには多くの社会的効用が見込めます。
・スポーツ観戦市場の活発化
・未発見だった”原石”の発掘
・多くの人が生涯でスポーツを楽しむ機会の増加
プロアスリートのセカンドキャリアの問題に対しても、市場が成長し多様なスポーツ関連の就業機会が増えることは、挑戦を支える一助になると認識しています。
この点は米国を始め、先行する諸外国のシステムを参照しながら、適切な正のFBサイクルを包含する日本版のスポーツエコシステムを築き上げていくことが、スポーツ業界全体のビッグチャレンジになるでしょう。自身も微力ながら貢献を目指す所存です。
おわりに
以上、マルチスポーツの文化振興が持つポテンシャルについて、
理解を深めていく一助となればと思い、本稿をしたためました。
想定していたより非常に長文になってしまいましたが、先行する各種記事などを参照させていただきながら、整理に挑戦しました。
次回は、特に幼少期の多様な運動経験がもたらすベネフィット
について「ゴールデンエイジ」というキーワードをもとに紹介していく予定です。本日もご一読いただき、ありがとうございました。
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