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ハリーポッターは失恋の味がする

人生ではじめて映画館デートをしたのは、21歳のときだった。デートの王道。そんなイメージを持っていたその場所は、ある意味観覧車やディズニーランドと同じくらい憧れの地だった。

大袈裟だと思われるかもしれない。青臭いのかもしれない。でも中学生のうちから彼氏がいて、好きな人ともちろん映画なんて見たことがある妹と比べてしまって、だいぶスロースターターなのが当時いちばんのコンプレックスでもあった。

そんな私が好きな人とたった1回、デートらしいお出かけをした先が映画館だった。はなから実らなかったわけではないと思いたい。恋人と呼べたその人は、でも彼氏じゃなくて、その曖昧な両思いの先に言葉をつけないまま私の帰国の時が近づいていた。

ウェリントンという街にはあまりにも娯楽が少なく、道を歩けば知り合いにあい、市内は徒歩で完結するほどだった。映画かビーチが、デートコースと呼べる場所だった気がする。

映画を観たい。
なんでそれすら言えなかったのだろう。

はじめて本当に好きになった人の前で、嫌われるのが怖い自分の檻から全く抜け出せなくなっていたのだと思う。英語でのコミュニケーションに詰まることもあり、今では信じられないほどに内向的になっていた。


そんな最中、ファンタスティックビーストが公開された。ハリーポッターと繋がるストーリーらしく、ハリポタファンの彼は興奮していた。

一方でかの有名なハリーポッターを見ずに成人し、「秘密の部屋」だけは金曜ロードショーで3回ほど見たことがある。それが21歳の当時の私だった。そこから先には進めない、進むほどの熱量も持っていなかった。

留学生仲間も盛り上がりを見せ始めると、私はハリーとロンとハーマイオニーくらいしかわからないのに、どう会話の輪の中で笑っていればいいかもわからない。

今までだったら、その場をそうっと離れて平穏な日常を取り戻したのだろう。けれど、その時の私は一味違った。だって好きな人が好きなんだもの。


それから彼と一緒にハリーポッターを夜な夜な鑑賞した。時には夜遅くまで起きて隣人に壁を叩かれることもあったけれど(壁が薄すぎる!)、彼の腕の中で同じ毛布にくるまりながら過ごせる夜ほど愛おしいものはなかった。

彼は日本語はあまりわからないから、英語で見ながら逐一彼に解説してもらう。そんなふうに見ていた私は、英語の読解はほとんどできず、内容は映像だけを頼りにしていた。

彼の腕の固さだったり、友人たちといる時とは違う声だったりに少しずつ意識を引っ張られて、今では内容すらおぼろげなのだ。とんでもなく幸せだったけれど、同時にもうすぐ離れ離れになるという寂しさも時折どっときた。

だから最後の最後まで見て、いちいち驚いたり悲しんだりしていたのに、どんなラストだったかを思い出せないほど曖昧になってしまった。

けれど、その夜の時間と、締めくくるように映画館で見たファンタビは今でも心の片隅を温めてくれている。

もう2度といくことはないだろうダウンタウンのあの映画館。
英語ばかりで半分ほどしか理解できなかった映画。
暗くなった劇場で彼が左手に落としたキス。
上映中ずっと握られていた手。

それが私の、はじめての映画館デート。ゆっくりと彼の顔が記憶から消えていっても、過ごした日々の残像だけは残っていくらしい。

シリーズ2話を一緒に観る約束は果たせないものとして朽ちたけれど、今もどこかで誰かとあの人が幸せだったらいい。

そう思える春が来てよかった。




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mayu
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