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毎日文章を書いていてすごいね、と同居人に言われたけれど
先日、毎日掃除をすることができないわたしは、同居人と小さいけれど長く影響がある喧嘩をしました。わたしにとって掃除は毎日するものではなく、汚くなったなあ、と気になり始めてからするものだけれど、彼にとっては毎日のルーティンに組み込まないといけないくらいのもの。そういうすれ違いって、一生起こるんだなあって思ったんです。
それで、今日話したいのはわたしが掃除を好きではないことじゃなくって、毎日のルーティンに何を組み込むかってことなんですよね。毎日するのって、朝起きて顔を洗うこと、お風呂に入ること、何かしらご飯を食べること、眠ることくらい。けれどもわたしはそこに、noteを投稿して、最低でも1日1回は開くことが入ります。
そんな同居人に、毎日文章を書いてすごいねと言われました。
noteを毎日投稿して1400日以上。確かに、ちょっとやそっとでは越えられない数字にはなってきました。少なくとも、私自身も辞めたくないなあと思ってしまうくらいには、一度止めてしまったらまたすぐ達成できると思えない期間です。
でも、じゃあ毎日やっている一つ一つのことがすごいのかというと、それはなんとなくぴんときません。ずっと、そんなすごくないよなあって思ってる。毎日書いていて、私のように「テーマはなんでもOK。等身大で書きます」スタイルの方は、縛りを極限まで無くして歯磨き状態にしているんですから。
というか、めっちゃ辛い人は、毎日投稿向いていないと思います。訓練ならまだしも、楽しくないのに書かなくていいんじゃないかなって思っちゃうのです。私は、書かないと気持ち悪いから書いているだけであって、書きたいことがない日もあります。(最近はそっちの方が多いかも。)
歯磨きしないで眠っちゃうのが気持ち悪いように、私にとってはnoteを公開せずに1日を終えるなんて、むず痒くて気持ち悪くてできないのです。毎日しようと決めて始めたことじゃないからかもしれないけれど、そこに「無理やり」がなく、自然にルーティーンに組み込まれていったんだとわかります。
だから、積み上げた結果は平凡じゃないかもしれないけれど、毎日やることはすごくないです。犬を飼っている人が毎日散歩に連れていくけれど、私にはできないと思います(だからペットは飼いません)。毎日キッチンの排水溝の水切りネットを取り替える人もいるらしいけど、私は1週間に1回だし。
人によって、物事のハードルって本当に変わりますよね。それがわかってから、自分と誰かを無理に比べて苦しくなることも減ったし、逆に言葉での説明なしに相手に理想を押し付けるのも良くないなと思えるようになりました。これからも、ちょっとの努力は継続しながら、毎日投稿を続けていけたらいいなあと思っています。
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