「家族とは、こうも苦しいものか」万引き家族・読書感想文
家族とは、こんなに苦しいものなのか
万引き。
紛れもなく犯罪で、手を出してはいけないもの。それなのに無邪気であってほしい子供が、生活のために仕事として行なっているシーンから物語は始まります。
全くお金がないわけではないけれど、そこに十分な資金はないのです。家族の生活を保つには足りない。
後先も考えずその場だけが楽しければいいという治。
治に教えられた「仕事」をする、学校に行けない利発な少年祥太。
人の嫌がることをわざとして楽しむパチンコ好きのおばあちゃん初枝。
おばあちゃんに異様なほど甘える風俗嬢の亜紀。
治が拾ってきた、親からの虐待を受けていた少女りん。
親に愛されなかった自分をりんに投影し、人を突き放すくせに誰よりも家族に依存する信代。
彼らが「家族」として過ごした日々の、いびつで不器用な物語です。
彼らはいびつな形をした家族です。それは彼らが本当の家族ではないというだけでなく、世間から隠れるように偽の名前を纏って生きているからです。
彼らの生活の危うさは、単に血のつながりがないというところからくるのではもちろんないと思います。家族の在り方はどんどん多様になっているし、「本当の家族」なんて言葉自体が嘘くさい陳腐なものに思えます。
そうではなく、罪を重ねて生きているからでしょう。それを隠しながら普通を装って生活しているところが、いびつなのです。彼らは偽らねばならない生き方をしています。
家族の愛情も偽りなのか
彼らが罪を重ねているからといって、共に過ごす家族としての愛情も偽りなのでしょうか。
信代は、選んで共にいる家族の方が絆が強いのだと信じたがります。
心から信じているというより、信じたがっているのです。それは、実の両親から愛されずいらない子供とされていた彼女の、家族愛への執着でもあると思います。
自分が所属するものの中で、必要とされたい、承認されたいという気持ちは誰しも持っています。信代の場合は特に、それが大人になっても執着として現れていると思いました。
一方、彼女が信じたかったこの家族の信頼は、ある事件によって大きく転ぶことになります。そこにあるのはある種の裏切りでもあり、別れです。
でも、だからといって一概に家族の愛情が偽りだったと言えるのでしょうか。
本当の家族ではないと突きつけられながらも、自分より相手の未来を幸せにしたいと自分が身を引く覚悟ができるのか。家族への執着があればあるほど、それは大きな問いであると思います。
偽りの家族だったとしても、それを拠り所としていた自分を認めないわけにはいきません。信じた自分を否定して生きていくのは酷すぎます。
無条件に認め合えるものが何もなかったからこそ、寄せ集めとも言える家族だったからこそ、最後は誰かに必要とされていたということよりも自分が彼らを大切に思っていたという思いにより強く気付かされるのだと思います。
罪でつながれた鎖は重いものだったのかもしれません。しかし、そこにちゃんと愛おしさもあったと、読者も認めざるを得ないのだと思います。
万引き家族
犯罪の上に生計を立てていた家族。
互いに干渉し合わず、探り合い、協力はしないがチームであった家族。足りないものを、取り繕って、それでも必死にその生活を守ろうとしていた家族。
これはただ不幸な話なのでしょうか。これを偽りの家族の犯罪の話としていいのでしょうか。愛情がなかったのではなく、その示し方がいびつだったということではないでしょうか。どんなに相手が大切だと自分の心が気づいていても、それは許されない、社会の当然が許さないという悲しみなのではないでしょうか。
社会や普通の基準と、その普通と争わなければ生きてゆけない世界について考えさせられました。