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足るを知る食事管理|食べることも食べないことも楽しむために
こんにちは!ばらんです。
今回は「食事管理で気をつけていること」というお題ハッシュタグに沿って書いてみました🥑
食事管理は多くの人にとって身近なテーマだと思います。
わたし自身、4~5年前までは「食べること」にも「食べないこと」にもストレスを抱えていました。
それが今では、足るを知るという言葉やオートファジーの概念を取り入れながら、少しずつ自分に合った食事管理の形が見えてきたように感じています。
今の食事管理に辿り着いた経緯や、気をつけていることをまとめていきます✍🏻
足るを知る精神
「足るを知る」という言葉をご存じでしょうか。
「身分相応に満足することを知る」という意味で、中学生の頃に国語の教科書で出会って以来、わたしの心をずっと温めてくれている言葉です。
座右の銘を聞かれたらこれ!というくらい🌾
これは食事管理のヒントにもなると思っています。
例えば「何か食べなきゃ」「もっと食べたい」と焦る時。この言葉が浮かぶと「いや、今の自分にとって必要な栄養は十分足りている」と立ち止まることができるのです。
足るを知る精神はいつも、自分がすでに満たされていることを教えてくれます。食べることにおいても、余計な欲求や罪悪感から解放してくれる大切な考え方です。
オートファジーで整える
足るを知る精神は生物学的な観点からも説明ができます。
それが、近年話題になっているオートファジーです。
オートファジーとは、細胞が不要なものをリサイクルして、新しいエネルギーを生み出す仕組みのこと。体内の老廃物が整理されるこのプロセスは、健康を維持する上で重要だそうです。(知らんけど)
そして、オートファジーを発動させるには、「空腹を感じること」が何よりも大事だとか…!
この一連の流れに、わたしは部屋の掃除のイメージを持っています🧹
例えば、散らかった部屋を整えるには、まず花を飾るのではなく、埃を取ったりいらないものを手放したりすることが大切ですよね。
身体でも同じで、栄養を摂ることでだけで健康になろうとせずに、オートファジーを活性化させて古いものを整理してあげることで、澄み切った風は入ってくるのだと思います。
オートファジーを知る前のわたしは、十分足りているのにどこか焦りがあり、結果的に食べすぎていたのでしょう。部屋はいつも物で溢れていました。
今は、そのような偏った思考から解放され、控えめに食べることに満足しています。その結果、ご飯の美味しさや食材への感謝を素直に感じられるようにもなりました。
自然体でなんとかなる
もうひとつ、並行して意識していることがあります。
現代の食生活は選択肢が多く便利ですが、その豊かさは裏を返すと複雑さとも言えます。「朝昼晩とバランスよく食べなければ」といった考えが、気づかないうちに心の負担になっていることも少なくないでしょう。
そんな時、わたしは狩猟採集・農耕牧畜時代の原始的な暮らしに思いを馳せると気持ちが落ち着きます🎣
当時の生活は、毎日安定した食糧を得られたわけではありません。肉や魚が獲れない日もあったでしょうし、米や野菜が不作の年もあったでしょう。そんな中でも人々は手に入るものを工夫して食べ、時には最低限の水分だけでしのいでいたのだと思います。(知らんけど)
わたしにもその血が流れています。
だから、1食ごと1日ごとに完璧な栄養バランスを求めることはせず、数日単位でそれなりに栄養が摂れたらOK!揃わなくてもオートファジーでなんとかなる!くらいの感覚で、自然体なゆるい食事管理を心がけています。
食べる自由、食べない自由
このように考える中で、わたしは「食べること」にも「食べないこと」にも自由を感じられるようになりました。
食事管理は人に合わせるものではなく、自分の心と身体が無理なく受け入れられて、続けられる方法を見つけることが大切だと思います。
ここに書いたのは、現時点でのわたしの個人的な取り組みです。一般的に褒められたものではないかもしれませんし、この先自ら覆すこともあるかもしれませんので、あくまで参考程度にしてくださいね👩🏻🔬
それでも、この経験がどなたかの心を軽くするきっかけになれば嬉しく思います。