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BOOK REVIEW vol.098 自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学

今回のブックレビューは、しんめいPさんの『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版)です!

某Amazonにて、『自分とか、ないから。』というタイトルが目に留まり、「面白そうっ」と直感で購入したのは良いけれど、届いてびっくり! 予想以上に分厚く(約350ページある)、「理解できるかしら…」と、実は若干不安になった。でも表紙をめくって、「はじめに」の一行目を読み始めてからはそんな不安はさっぱりと消え、「え、めっちゃ面白い」とぐいぐい引き込まれ、半日も経たないうちに読み終えてしまったことに、今とても驚いている。

東大卒・こじらせニートが超訳
ぶっ飛んでるのに論理的
生きづらさが(少し)マシになる(かもしれない)
それが東洋哲学
人生激ムズくない?

『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』帯より引用

著者のしんめいPさんが「東洋哲学」に出会ったのは、無職になり、離婚して、実家に戻ってきた32歳の頃。襲いかかる“虚無感”から脱出する方法を探していた時だったそう。こちらの書籍では、ブッダ、龍樹りゅうじゅ、老子、荘子、達磨、親鸞、空海の7名の哲学者による教えと、しんめいPさんがどのように虚無感から回復されたのかが綴られている。

「東洋哲学」と聞くと、個人的には「どこか難しそう…」と腰が引けてしまう。とても有名な偉人たちの名前や教えは、今までの人生の中で何度も見聞きしているはずなのに、それぞれの教えの違いなどはうまく説明できない。京都の仏教系(浄土真宗)の大学を卒業したにも関わらず…お恥ずかしい限りです。

帯にもあるように、しんめいPさんの“超訳”はとっってもわかりやすくて、例えも面白く(ファミチキ・米粒・コップなど)、「なるほど、そうゆうことだったのかー!」とようやくそれぞれの教えを理解できた気がする。そして、7名それぞれの生い立ちや人となりも紹介されているので、ぐっと親近感も湧き、東洋哲学をとても身近に感じることができ、しんめいPさんの個人的なお話も面白く、新形態の「哲学エッセイ」だと思った。

あとがきで、しんめいPさんが「だれが一番好きだったか知りたい」と書かれていたこともあり、「誰だろう…」としばらく考えていたけれど、これがなかなか難しい!  とくにご縁や親しみを感じるのは、ブッダ、親鸞、空海。でも、今回の教えの中でいうと、私の胸に刺さったのは、達磨の教え「言葉はいらねぇ」だった。「考えるな、感じろ」と言われてもつい考え過ぎてしまい、思考過多になりがちな日々。言葉を多用すれば何でも伝わる、何とかなると、“言葉(思考)に頼りすぎ”ていた自分に気づかせてくれたのが、達磨の教えだった。

このブックレビューも目標の100冊まで残りわずかだけど、おそらくこの一年間、ずっと考えていたと思う。「何を感じたか」を考えて書いていた。言葉をうまく見つけられないことや、自分が“何を感じたのか”さえ見失ってしまう日もあった。でも時間は無常にも過ぎていくから、立ち止まるのが怖くて、ただずっと頭の中でぐるぐると言葉を探していた気がする。

「書くぞ」とおもっていろいろ考えると、言葉の世界にはいってしまう。
言葉の世界にはいると、同じところをぐるぐるして、つまってる状況を打開できない。
いちおう、つくえにはむかうんだけど、つくえにむかいつつ、「書かない」。
締め切り前、ピンチで、あせっちゃうときほど、「書かない」。
なにも考えずに、ボーっとする。
そうすると、つかれない上に、とつぜんアイデアがうかぶ。

『自分とか、ないから。 教養としての東洋哲学』P225より引用

達磨の「言葉はいらねぇ」という教えは深く、簡単ではない。でも「考えるな、感じろ」は、私にとって必要な教えだと思うから、サレンダーして素直に受け取ろうと思う。

ブッダの「無我」という悟りから始まり、さまざまな哲学者たちが時代をこえて説いた教えから見えてくる、“生きづらさの原因”。強く握りしめていた自分へのこだわりや執着は、もう手離してもいいのかもしれないな。読み終えた後、表紙をしみじみと眺めていたら、『自分とか、ないから。』というタイトルが、読み始める前よりずっとずっと深く胸に響いてきた。多くの学びと気づきをありがとうございました。

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もり さとこ
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