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「男尊女卑」は日本の伝統ではない

先日、スイスで開かれた国連の女性差別撤廃委員会が日本に夫婦別姓の導入勧告をした件では、これを「内政干渉だ」とする世論が強い。確かに内政干渉だろうが、女性差別撤廃条約に批准しているのは日本の側なのだから、干渉されたくなければ同条約を脱退すればいい。何ならいっそ国連脱退したっていい。批准しながら勧告ガン無視では憲法違反にもなる。(98条2項:日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする)

そもそもが日本の「夫婦同姓」というのは古来からの伝統でも何でもなく、 明治31年に成立した明治民法「一戸籍同一氏」の規定により初めて法制化されたもので、歴史的には比較的新しい制度にすぎない。儒教の影響が強い武家は特に別姓がむしろ伝統だった。それを明治になって家父長制になり、むしろ欧米の方が同姓にしているのを「文明的」だと真似たのが、日本における「夫婦同姓」の始まりだった。

要するに欧米の「文明的」な「ファミリーネーム」を真似たわけで、それを日本の伝統だと固守するのは当時の欧米の価値観を固守するだけの話でしかない。逆に当時は儒教的価値を重んじる旧武士層がむしろ「伝統に反する!」と同姓に反対していた。別姓ごときで「家族が崩壊する」なら儒教の影響が強い中国・朝鮮・台湾はとっくに崩壊してるわけだが、むしろ家族の結びつきは日本より強い。

「夫婦同姓」は明治家父長制と一体のもので、明治の価値基準とされた欧米キリスト教圏は基本的に「男尊女卑」でもある。イヴはアダムの肋骨から作られた存在でしかない。だから日本における「男女平等」とは、伝統とは無関係な明治の残滓である「男尊女卑」を是正しようという話でしかないわけだが、どういうわけだかこの国では「男女平等は妄想」と公言する女性議員も平然といるから驚く。たったこの150年の歴史すら知らない者らが「日本の伝統は男尊女卑だ」と国内外で吐き散らかしている。

そして「男女平等」は「機会平等」の話であって「結果平等」とは違う。「男と女は体のつくりも違って云々~」は「結果平等」の話であって、例えば男女を同じ体になどできるはずがなく、その意味でジェンダーフリーは確かにカルトではある。あくまで「女性である」というだけで不利益を被らない「機会平等」の話であり、例えば欧米を真似た明治家父長制の元では長らく女性参政権は無かったし、教育を受ける機会も少なく、がんばって出産しても男子でなければ周囲からは冷遇された。

戦後だって男女雇用機会均等法前までは女性は就職しても結婚したら辞めるのが前提で、要職につくことはなくほとんどお茶汲み要員でしかなかった。尚、現在のフェミニズムの源流であるシモーヌ・ド・ボーヴォワールは女性を「第2の性」と言ったがその通りで、例えば「女優」という言葉あっても「男優」という言葉は(特異な場合を除き)無い。

「女のくせに」と言われた時代や、不平等を少しずつでも是正してきた歴史を知らない者が「男女平等」を「妄想」と言い、今や「男尊女卑」よりも「男女平等」の方がカルトになってしまった。日本における歴史の分断は相当に根深い。

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