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僧侶の間で「世間知らず」「社会に出て,苦労した方がいいよ」ということがしばしば言われています。「常識」「苦労」「世間」という言葉について,改めて考えてみたいと思います。お急ぎの方…
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僧侶は世間知らず?(2)常識を身につけるために
前回の続き
前回の記事では,「僧侶は世間知らずだ」という声があがっていること,僧侶にはしばしば「常識」「苦労」「世間を知る」ことが求められるということを書かせていただきました。そして,「常識」「苦労」「世間」が一体どのようなものかを改めて明確にし,私なりの定義を申し上げました。
・僧侶に求められる常識
①金銭感覚,②人とかかわるときの態度
・僧侶に求められる(?)苦労
多くの場合,仏教やお寺以外
僧侶は世間知らず?(4)お寺や僧侶も世間の一部
前回の続き前回の記事では,苦労をして何が得られるか,どうしたら苦労したといえるのか,ということについてお話させていただきました。
・だれもがすでに大なり小なり苦労している。人に認めてもらわなくてよい
・苦労は必要ない。しなければならないのは努力
・苦労しても何も得られない。マイナスの方が大きい。だからこそ苦労した人は「意味があった」と自分に言い聞かせる
繰り返し申し上げておきますが,苦労を自ら
僧侶は世間知らず?(5)僧侶ならおさえたい社会問題
前回の続き前回のnoteでは,「世間知らず」の「世間」とはなんなのか,世間知らずにならないようにするためにはどうすればよいかについて,考えていることを書かせていただきました。
・「世間」というのは多くの場合民間企業を指す
・世の中は広すぎる。世間をすべて知ることなどできない
・わからないことは正直に「わからない」と言う
私は,僧侶に求められている「世間を知る」というのは,今世の中で苦しんでいる