
詩人、皇帝になる~曹丕見参!~
皇帝と臣下の名コンビ
皇帝に反対意見を具申するの、臣下にとってまさに命がけです。でもこの二人は案外良いコンビだったのかも知れません。
三国時代魏(ぎ)の初代皇帝の曹丕(そうひ)は、冀州(きしゅう)の十万戸を河南へ移住させようと考えました。皇帝として河南の人口が少ないことを憂いていたのでしょう。何とかしてかの地を充実させたいと思ったのかも知れません。皇帝としては至極まっとうな考えですね。ところが時期が悪かったのです。その当時の河南は、ちょうどイナゴの被害が酷く住民は飢餓に苦しんでいたのです。あの時代、ひとたびイナゴの群れがやって来ると、あらゆる農作物を食い尽くし、人間は食べるものが無くなり飢餓状態に陥っていたのです。まさに今、河南はその真っただ中にあったのです。それにも関わらず、曹丕は河南への住民の移住を強行しようとしていました。それには多くの臣下が危惧を抱いていました。そんな折、ある人物が幾人かの朝臣たちと一緒に、曹丕に目通りを願いました。その人物の名は辛毗(しんぴ)。彼は魏王朝の中でも屈指の直言の士と知られ、相手が皇帝であろうが臆さず意見を述べることで有名でした。その彼がやって来たので、曹丕も身構えて対します。誰も言い出そうとしないので、辛毗が口を開きます。
「陛下、恐れながら今回の住民の移住についてのお考えをお伺いしたいと存じます」
すると曹丕、
「貴公はわしの考えが間違っておると申すのか?」
辛毗は平然と答えます。
「まことにもって左様にございます」
「わしは貴公と論議するつもりはないぞ」
曹丕が論議を打ち切ろうとすると、辛毗はこう言いました。
「陛下はわたくし目を愚か者とお考えにならず、側近として意見を述べる役目をお与え下さいました。わたくし目の申しますことは、決して私心から出たことではございません。ひとえに国家の大事を思えばこそでございます。どうしてわたくし目のことを怒っておいでなのですか?」
曹丕は何も答えず、黙って奥へ引っ込こもうとします。辛毗は皇帝について行き、着物の裾を引っ張って止めようとしましたが、曹丕はそれを振り払って部屋に閉じ籠ってしまいました。しばらくして、曹丕は辛毗の前に戻ってきてこう切り出します。
「わしに対する貴公の態度は少々厳し過ぎるのではないか?」
すると辛毗はここぞとばかりに畳みかけます。
「いえ、今移住を強制すれば民心を失うばかりか、かの者たちは食べるものが無く飢え死に致します」
辛毗らの反対もあり、結局曹丕は半数の五万戸の移住を決定したということです。
詩人皇帝
私の心は満たされることなく 空っぽの家の中にひとりぼっち
貴方を忘れようにも 忘れられることなど出来はしない
涙はとめどなく流れ 気づくと服が濡れている
貴方を忘れようと 琴を爪弾き澄んだ音色を奏でて歌ってみても
声が詰まって まともに歌うことなど絶対に無理…
月の光が私のベッドを照らしている
天の川が西に傾いても 夜はまだ明けません
織姫と彦星は 天の川をはるか遠く隔てて向かい合っている
いったいどんな罪があって 二人は引き離されてしまったの?
曹丕の書いた「燕歌行」という詩の一部を訳してみました。この詩は戦地に赴く愛する夫を待つ妻の心境を歌ったものです。私の拙い訳では、曹丕の詩才をお伝えすることが出来ませんが、彼は父の曹操と弟の曹植と並んで当時は「三曹」と称されるほどの大詩人でした。曹丕は皇帝であると同時にアーティストなんです。アーティストは心を震わせることで創作します。曹丕は詩人であるがゆえにロマンチストなのです。ですから時に感情が理性に優先してしまうことがあるのかも知れません。自分でもそれが分かっているから、彼は辛毗のようなストッパー役を側近くに置いているのでしょう。
曹丕は「三国志」の著者である陳寿からも「昔の名君たちに比べると寛容さに欠ける」と評されていますが、私はこのエピソードを見ていると、曹丕はむしろ人間的な皇帝であり好感さえ感じます。確かに陳寿のいうような昔の名君、例えば漢の文帝や後漢(ごかん)の光武帝といった一流の名君なら、臣下の反対を受ければ移住を思いとどまったと思います。彼らは正真書名の名君であり、人としての感情を「理性」でコントロールすることが出来たでしょうから。国のために成らぬのであれば、自身の考えを改めるだけの「器量」があります。ところが曹丕は、彼らのような名君とまでは言えない皇帝です。皇帝として、あるいは人間としてのプライドが邪魔をするんです。だから移住は止められなかった。でも辛毗の言うことも道理が通っていると理解できるのです。理解は出来るが止めてしまうとプライドが傷つく。どうしたら良いだろう。曹丕が迷った挙句に出した答えが「半分移住させる」という何とも人間臭い結論だったのです。自分の顔も立てながら、臣下たちの顔も立ててやる。それが「半分」という数字に表れているわけですね。もちろん、移住させられた住民にとっては、たまったものではありません。あの時代は大型トラックを持った引っ越し業者があるわけではありませんから、移住となると家財道具一式を持って自力で長距離を移動しないといけません。しかも行った先に食料があるのか無いのか分からない悲惨な状況が待っているのですから。それを想うと曹丕は酷い皇帝なのかも知れません。しかし河南を何とか発展させたいと考えるのも、また皇帝であればこそです。時期が悪かっただけで、曹丕の考え自体が悪いわけではないでしょう。
皇帝とは民を統べる存在
漢の文帝や後漢の光武帝クラスの名君は、民を統べる皇帝としての自覚が他の皇帝よりも抜きんでていて、追随を許さないものがあります。だからこそ名君として長らく名前を留めていられるのです。逆に言えば、それだけ皇帝になると理性で自分を律するということが難しいということなのです。名君にはある種、人間離れした「精神力」を感じます。
曹丕は皇帝です。自分に意見する者を殺すことだって出来ます。何でもやろうと思えば出来てしまうんです。しかし彼はそうしませんでした。そればかりか、辛毗のような苦言を呈する臣下を敢えて側に置いているんです。これだけで私は、曹丕は並みの皇帝ではないと思っています。権力の座に就けば、誰だってイエスマンに囲まれていたいですよね。耳に心地よいことだけを聞いていたい。しかしそれをやっているといつの間にか国がおかしくなります。猟官運動が盛んになり、国は腐敗します。曹丕はそれが良くないと思っていたからこそ、苦い薬を敢えて飲む覚悟を持っていたわけです。
曹丕は確かに妻に死を命じ、ライバルとなった弟たちを冷遇しました。しかし皇帝は私人であると同時に公人なのです。私人としては身内に冷酷な曹丕でしたが、公人としての曹丕は果たしてどうであったのか?皇帝は民を統べる存在です。その点で考えるなら、曹丕は自分の「欠点」を把握していた聡明な皇帝と言えるのではないでしょうか?ただ、理性で自分を律することの出来る名君と比べると、評価は落ちざるを得ません。しかし名君はどこか人間離れしていると私は思います。ですから、曹丕は名君とは言えないまでも、決して暗君ではなく、むしろ人間味溢れる皇帝だったのではないでしょうか。
おしまい