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#私は私のここが好き を使うだけで少しだけ自分を好きになれた

noteをはじめてしばらく経ったとき、フォロワーさんの #私は私のここが好き のハッシュタグに怖気付いた。理由は自分のことが好きになれる人を純粋にすごいと思っていたから。私は自分のことを好きになんてなれない。

でもnoteの海に潜ると、どんどん見つかる#私は私のここが好き の文字。普通に感心した。「みんなすごいな〜」って。「自分のことを『好き』って言えるんだ」「いいなぁ…」って。

そんな私も自分のこと全部が全部嫌いなわけじゃない。ある時「このときの自分は好きだと思えるな」と感じる記事を書いた。いつも通りハッシュタグを付ける時に見つけた、#私は私のここが好き 。

一瞬躊躇ったものの、「えぇい!!!」と押した。そして公開すると、記事の一番下にはしっかりと #私は私のここが好き が入っていた。「うわ、とうとう書いちゃったよ。書けちゃったよ」半分興奮気味、半分は大丈夫なのかな…と意味もわからない不安を抱えた。

それでも時々は書けるのだ。「自分のここは好きだな〜」って記事が。一度書いてしまえば怖いものは無い。どんどん付ける。どんどん書く。不安もどんどん減っていく。そうやって少しずつ積み重ねた私の #私は私のここが好き

そうしたら「あれ、私、意外と自分の好きなところあるじゃん!」「なんであんなに嫌いな感情でいっぱいだったんだろう??」と思うほど、考え方が変わった。

書くためには経験も必要。エッセイは経験したことや感じたことしか書けないのだから。

でもただ経験するだけじゃきっと前までの“自分のこと嫌い!”な私だったような気もする。少しずつ書く。少しずつ“好き”が積もる。そうやって自分の凝り固まった“嫌い”が剥がれていった。

今の私は、私のことちょっとは好きになれたと思う。全部好き!って言わなくていいことも分かったし、「これだけは負けない!」とか「これは強みだ!」「これこそ私のアイデンティティだ!」って思えるものが“書く”ことで見えるようになった。

それに書くのは自由だ。記事を書いて公開したとて、そこに文句を言ったり否定する人はいない。noteの世界は寛容だ。「いいね」とか「スキ」をくれるから、肯定されたような気持ちになる。そもそも否定されない、しなくていい。ただ言い放つことだけができる。それがどれだけありがたいことか。

#私は私のここが好き なんてnoteの海にあるハッシュタグのひとつに過ぎないんだけれど、それでも書き続けることで私の考え方は変わった。

やっぱり“書く”ことってすごいなって思うし
noteっていい場所だなって思うし
#私は私のここが好き って言えることは気持ちいいなと思う。

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葵月みず
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