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noteは誰に向けて書いていますか?
何のためにnoteを書きますか?
私は相変わらず、noteは自分の頭の中の整理であることが多いです。あとは記録も兼ねているかもしれません。どちらにせよ、大きく“自分のため”に書いています。だからアクセス数もスキの数も気にしません。それでもやっぱりたくさん反応をいただけると嬉しいです。
でもここ数ヶ月、“自分のため”だけじゃない記事も増えてきました。
noterさんに向けてとか、フォロワーさんに向けて投げかけることも最近は多くなってきたと思います。
例えば、書きたいけど「なにを?」って悩む人に向けてとか
丸っきり彼くんに向けたような記事もあったり
noterさんという大きなカテゴリ化された人達へ向けてものだけじゃない。とあるnoterさんへ向けて、書く時もあります。
ある人へ向けて書く。
それはnoteの中に留まらず、リアルの友人たちや誰かの聞いた話から、「こう考えて、こんなこと思っているんだろうな」と感じてしまったら「じゃあこうしたら?」なんてことも言いたくなってしまう。それでも実際には上手く伝わらないし、受け取ってもらえないから、そんな鬱憤ばらしも含めて書くことがあります。
言うことは簡単
口だけなら誰でも何とでも言える
ただ行動すること、
行動させることが難しいんだ。
人がどう思っているのか、それを察するのは幼い頃から自然とやっていました。自分の気持ちや言動も含め観察しながら、最近はちょっと本を読んでみたり。そうやって蓄積された経験からも、どんどん精度よく察せるようになっていると思います。
だからいろいろ言いたくなる。「こうしたら?」って。その時には行動させるような言い方になるようにすごく気をつけるし、聞く耳を持ってもらえるような関係性になれるように頑張る。私は交友関係みたいなのは上手くないから、いつもそこが大変なのだけれど、そこはもうどうにかこうにかする。
それでも上手くいかないから、そのやるせない気持ちを記事にします。あわよくば読んでくれますようにと願って。
こんなのは私のエゴでしかない。
押し付けがましいとその人は感じるかもしれない。いや、きっとそうだと思っています。
人は大きく2種類に分けられると思います。
自分の感情や思いをストレートに言える人と、そうでない人。私は圧倒的後者。
言えない人も様々だ。私みたいに口を開かなかったり、自信満々に魅せる人もいるし、煽るようなマウントを取るようにする人もいます。悲劇のヒロインみたいに振る舞う人もいます。
その態度や言動は様々だけれど、そう感じる人の不安を少しでも除けたら...とは思わずには居られない。だって私がそうして欲しいから、王子さまみたいな人か現れて救って欲しいってずっと思っているから。
でも現実には王子さまなんていない。でも誰かが手を伸ばしているのなら、それを支えてあげられるくらいのことはできるんじゃないかなと思う。手が伸ばされたのなら、掬える人で在りたい。私のように悩む人を支えたい。助けたい。
だから時々“ある人へ向けて”たった1人の人に向けて書くこともあります。その記事はアクセス数もスキもなんだっていい。例え誰にも見られなくても良い。その“ある人”さえ読んでくれれば。ある人がnoterさんなら「スキ来るかな...」って思うけれど、リアルの人は基本は私のこの存在を知らないから、届くことなんて無いんだけどね。
それでも、どうか届きますように。
そう思って書く夜もあるんです。
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