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『裸の聖書』44. 聖書と呼ぶには早すぎる: 聖書の不確かな歴史 -3

こんにちは、もんぱちです❣
真実を知る手がかりの一助として、『裸の聖書』を翻訳し拡散しています。

真のイスラエルの人々とは?
ヨーロッパにいるいわゆるユダヤ人のほとんどがハザール人の子孫?
真のユダヤ人はローマ帝国征服時代にパレスチナに住んでいた人々の子孫?
アダム人は人類の祖先ではなく、ユダヤ人の祖先?

湾曲された歴史から真のルーツを探るのは困難を極めますね。

前回の記事はこちら↓↓↓

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聖書と呼ぶには早すぎる: 聖書の不確かな歴史 -3

集合的な想像力の中で、聖書の歴史的世界は、まるで時空の泡の中に生きているかのようであり、あたかも聖書が属する世界の地域の文脈から隔離されているかのようである。
しかし、学者たちは、この地理的・社会的背景を、少なくとも大まかには認識している。
「トーラーが書かれたと推測される時期を考えると、著者たちはアッシリアとバビロニア(特にバビロニア)の文脈で執筆したと考えざるを得ない。このことは、おそらく、いわゆるエジプトでの奴隷制度の記述から始まるモーセ五書の記述のほとんどを鼓舞する反エジプト感情も説明できる。バビロニア人の支配下で書くことは、彼らの好意を勝ち取ろうとすることを意味した。」
実際、出エジプト当時、カナンの地はエジプトの支配下にあったと考えるのが妥当だとビグリーノは付け加える。したがって、エジプトを敵として登場させたこれらのテキストの編纂は、後になってから行われたと考えるのが妥当だ。
解放後、『バビロン捕囚』の期間も修正され、神の懲罰が加えられたと再解釈された。その後、バビロンはユダヤ民族の敵ともみなされるようになった。」
他の書物は明らかに最近のものである。
「それらはヘレニズム時代に構成されたもので、当時中東に浸透していた文化的基層の影響を受けているようだ。」

ウィキペドアよりヘレニズム時代エーゲ海周辺の地図

中東はとりわけ戦略的な地域である。地中海沿岸地域全体とともに、わたしたちの文明発祥の地と定義されている。学校の教科書には、シュメール人、ヒッタイト人、ヒクソス人、フェニキア人について書かれている。また、エジプト人、バビロニア人、エトルリア人、ギリシャ人、ペルシャ人についても書かれている。ローマやカルタゴの話もする。
ユダヤ人についてはどうだろうか?歴史は、聖書を書いたこと以外で彼らを記憶しているのだろうか?
「そうだ。古代ユダヤ人は何か特別な偉業で記憶されているわけではない。ローマ帝国によるエルサレム征服よりずっと前に始まった、いわゆるディアスポラの期間、彼らは地中海沿岸に広がっていった。今日、真のイスラエルの人々が誰であるのか、また過去にどれだけいたのかを語るのは非常に難しい。確かに、聖書と『安息日の律法』の尊重は、この集団の特異性を特徴づけ続けている2つの要素であり、いずれにせよ、彼らは自分たちを他のすべてのものとは異なっていると考えている。」
確かなのは、今日、世界、特にヨーロッパに存在するいわゆるユダヤ人のほとんどが、政治的・経済的な都合から大挙してユダヤ教に改宗したハザール帝国の人々の子孫であるということだ、とビグリーノは言う。
イスラエルのシュロモ・サンド教授のような極端な説は枚挙にいとまがない。
「サンド教授によれば、真のユダヤ人は、ローマ帝国による征服時代にパレスチナに住んでいた人々の子孫であり、現在のパレスチナ人であり、彼は著書の中でユダヤ人の『発明』という本当の意味について語っている。」

聖書はどうだろうか?聖書はユダヤ人の起源を『年代測定』するのに使えるのだろうか?
「まず第一に、聖書はアダム人の『創造』の物語から始まっていると言わなければならない。彼らは人類の祖先ではなく、ユダヤ人が自分たちがその血統の子孫であると主張する最初のメンバーなのだ。」
ビグリーノはこの点が決定的であると主張する。「ここで、聖書はアダム人を特別な民族、つまりエロヒムの遺伝子を高い割合で受け継いだ人々として語っていることを明記する必要がある。したがって、創世記の物語は人類全体の『製造』を指しているのではなく、その特定の血統の生産とガン・エデンへの導入のみを指していると考えるのが正しいようだ。」
時間的に非常に遠い昔の話だ。しかし、どれくらい遠いのだろうか?
「アダムの物語は紀元前5千年紀に位置付けられる。次に族長たちがいるが、彼らの長い寿命は後から付け加えられたと考えるべきではなく、むしろ重層的に付け加えられたと考えるべきだ。つまり、大まかにいえば、ノアが『作られた』時期の少し前まで、アダムはまだ生きていた可能性が高いということだ。」
タルムードによれば、ノアはユダヤ人ではなかったと、ビグリーノはわたしたちに教えている。
「ユダヤ人の歴史は、ずっと後の時代、彼らが名付け親とするエベルから始まり、イブラヒムはそこから派生している。」
もちろん、伝統的にはユダヤ人の真の父はアブラハムであると考えられている。
「彼の生涯の出来事は、ソドムとゴモラを滅亡させた大戦争の時期である紀元前2000年頃に位置づけることができる。」

ソドムとゴモラを滅亡させた大戦争のイメージ

しかし、アブラハムは本当に存在したのだろうか?
「もし実在したとすれば、アブラハムの出身地を考えると、実際にはシュメール人であった可能性が高い。」
とはいえ、アブラハムに関するすべてのことは不確実性に支配されているようだ。
「ヘブライ語の釈義によれば、アブラハムは生まれていない。この人物は、先祖を持つために捏造されたのかもしれない。」
彼の名前そのものが手がかりを与えてくれる。「この名前は、彼に割り当てられたエロヒムによって与えられたもので、『大勢の父』を意味する。」これは、彼と交わされた約束を守るための第一段階であった。
しかし、誰もがアブラハムの歴史性について当惑しているわけではない。
「そうだ、誰もが当惑しているわけではない。ユダヤ神学はアブラハムの存在を疑っていない。彼は歴史的に確立されたユダヤ人の父と考えられている。」

いずれにせよ、原ユダヤ人の出来事について信頼できる年代記を再構築するのは容易ではない。
ビグリーノは、アブラハムの後、エジプトへの移住、その地での数世紀にわたる生活、更に後のモーセに率いられた出エジプトについて書かれた文書の間には時間的な隔たりがあると指摘する。
「この出来事は紀元前1400年から1200年の間に位置づけられる。出エジプトの後、カナンの地を征服する戦争があり、ダビデとソロモンの時代が続くが、これは紀元前 1000 年頃だった可能性がある。」
ダビデとソロモン。叙事詩のようなスタイルで語られることの多いこれらのユダヤ人支配者は、本当に存在したのだろうか?
「このテーマは大いに議論されているところだ。」とビグリーノは認める。「残念ながら、ユダとイスラエルのさまざまな王の存在を議論の余地なく照明できる考古学的証拠はあまりない。ソロモンの偉大な建造物の痕跡を発見したと主張する者もいるが、このような発見でさえ、多くの場合は誤りであると証明されている。」
これらすべてをどう解釈すればいいのだろうか?
「確かなことは、もし彼らが本当に存在したとすれば、ダビデとソロモンは、いわゆる王国と呼ばれるが実際には部族規模の国を支配していたに過ぎないということだ。ソロモンの人物像は、王国の起源とカナンの地への支配において、他の民族の偉大な支配者たちに対抗できる人物を位置付ける目的で、大いに誇張され、神話化されたことが証明されている。」
ある時点で、それらの小さな王国は侵略された。
「まずアッシリアがイスラエル王国を征服し、次にバビロニアがユダ王国を征服した。」
これで紀元前6世紀になる。
「次に、アレクサンダー大王の征服に続くヘレニズム時代、そして最後にローマの征服に移り、独立の夢は終わりを告げた。」
その間、ユダヤ人は自分たちの歴史の記録を大切に保管していた:聖書である。
彼らは聖書を保存していた―というより、書いては何度も書き直していたのだ。
聖書は、継続的にコピーされ、修正され、改定された一連の書物だった。これはほぼ現代まで続き、マソレト派が中世になってようやく母音を導入した。
そしてその時初めて、テトラグラマトン(四文字の神名)『YHWH』がヤハウェになったのである。

マソレト派
テトラグラマトン





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トーラーがキリスト教徒の手に渡ったとき -1へ続く**********************************************************


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