結う・包む・食べる/『宙ごはん』というやさしい物語📖に
素敵な本に出会いました。
『宙ごはん』
生きることに不器用な、でも懸命な、愛しい皆の物語です。
勿体なくて一気に読みきるのが嫌で、1章ずつ1章ずつ、大事に、何日もかけて読みました。
最後まで読みきるのも嫌になり、最後に近づけば近づくほどゆっくり読みました。
そうしたかったのです。そういう話でした。
作者は前年度本屋大賞受賞者の町田そのこさん。
受賞作『52ヘルツのクジラたち』を読まれた方も多いのではないかなあ。
一貫したthemeとして「当たり前じゃない家族像(の肯定)」や「私が私であること」を書かれてきた、と感じている作家さんです。
『クジラたち』を読んだときは正直まだハマるまではいかなかった。
ところが、今回読み終えた『宙ごはん』は、ちょっと来るものがあってなりませんでした。
きっと、己も救われたような気がしたからなのだと思います。
救われた、って言葉、あまり好きではないし、使うにむずかしい。使いたくなくはあるのですが。
同じく、「呪い」という言葉も私は好きじゃありません。
簡単に使われすぎていることも好きじゃないし、
この言葉、なんかニュアンスが違うように思うのに、
せやのに、なんだか言い切ったような感が出てしまう気もして、
いまひとつ自分の中でピンと来ない言葉です。
しかも他人のそれを外から見て「呪い」なんて言うのもどうなん?! とかもね。
でも、よく見るよねえ。
つまりそれだけ抱えている人が多い、ほぼほとんど皆、ってことでもあるのではないか。
そして私自身にとっても。他人事ではないどころか、向き合わねばならないこと。
なので敏感になってしまうのだろうなあ、とも自覚しています。
そんな言葉「呪い」が使われる多いシチュエーションのひとつとして多い大きいことのひとつが、「家族」なのだと思います。
家族というかたち。
誰しもにとって「ちゃんとしているもの(で、あるはずのもの)」みたいなそれは、だからそれ故、とてもとても難しい。
どの家庭にだって多かれ少なかれ何かはある。
だから余計に自他のそれに対して勝手に無意識の固定観念が誰しもにある。
大阪のオカンたちがよく言う、一体誰が言い始めたのだがわからないあのワード、「よそはよそ、うちはうち」、
でも、あれはつまり「だからちゃんとせえ」っていう強要でもあるんだよねぇきっと。
絶対的とされがちなもの……
例えば、母、母らしさ、父、父らしさ、長男長女やその他それらしさ、男らしさ女らしさ、その家らしさ、いい家族、いい環境、そして、そこから形成される自分というもの。
血というやつは、きっと何よりも、面倒臭く、厄介なもので、
誰もの人間性や一生に残念ながら少なからずたくさんの影響を及ぼす。
こんなことを書く私も、また、つまり、幼い頃、そして物心ついた頃から、ちょっと非常に複雑となった家庭で育ち、今がある。
あの時何かできなかったのか、を、ええ歳をしたいまだに、きっとこれからもずっと忘れることなく抱えている。
読んで、読み終わって、何度も泣きそうになりました。でも涙は出ませんでした。
そんな、泣いて楽になるというか、
それで終わりにしたくないなとどこか頭の隅で思っているのもあるのだろうとも思います。
いや、いいんだ、いいのでしょう、楽になって。
でも書き屋としてそれは、って、思う己も居て、それが、己だったりもします。
そんな己だからこそ、本作を読んで、改めて、物語の力、小説、本の力、言葉の力、人間の力、信じていい、みたいなことをも感じました。
「思いがこもった料理は、人を生かしてくれる」
私はたぶんここに自分が(観て・観続けてきて)生かされてきた舞台だったり芝居だったり本だったりをも重ねたのだろう、と(も)思いました。
これは、また、ちゃんと書いていこうとしていること。
許すことはむずかしい。許されることもきっとむずかしい。
いや、許す許されるって誰に? みたいな疑問もある。
だから宗教だの、やべぇ(の基準もたぶん人それぞれの主観だろうけど)宗教だの、哲学だのがあるのだろう、とも思うし、
面倒臭いそれらではなく、文学や本やことばというものが、文化や芸術やというものが、うれしいことに泣きたいことにあるのでしょう。
私もまた、そうして生きている、ようにも感じます。
血や「こうあるべき」を越えて、
他人同士が〝家族〟(や、それ同然やそれ以上の結びつき)となること。
家族じゃないけど家族のようなものに感じられる同士というか存在となること。
自他共に捕われ囚われがんじがらめとなっていた、自らでそうしていた「繋がり」、じゃなく、ふわりと「つながってるなー」みたいなものを感じられるような。
そのきっかけとなるものが、本作では、ごはん、です。
ほんと美味しそうなものばかり出てくるのです。
体の中に直接入り、心の大モトとなるからだをつくるもの。
それを、誰かのために、つくる。つくって、つくられて、食べる。
誰しもが生きるために日々行っている根源的かつ原始的な、でも、だから、大きなこと。
そんなごはんが、不器用な皆を、ふわりと包み、「それでええやん」「ええんやで」「生きていこや」、じわりと包む。
ずっとずっと抱えてきた苦しみ、やり過ごしてきたが忘れることのない痛み、今だから感じる苦しさ、多かれ少なかれ誰もが心に持ったり感じたりすることを、誰かが誰かのためにつくったごはんが、ちょっと、楽にする、あたたかくする。
かたい結び目じゃなく、結う、結わえる、これからの、そのやわらかい結い目、みたいな。ふわっとした、おむすび、みたいな。あ、おむすびは出てこないねんけど(笑)
主人公の成長とその周りの人たちがやさしく変わってゆく姿、ひたすらに、やさしい物語でした。
そして私は、私のまわりにいる、やさしい人たちや、皆、力をくれる人たちのことを考えもしました。
大好きなStageや、
そのStageをつくり見せ続けてくれる人、
そのまわりに居る人たちのことや、
日々、そしてこれまで、うれしいお言葉を下さったり、笑って下さったり、つながって、いや、縁結って下さる皆のこと。
私が私で居ること。それをそうさせてくれるものやひと。
今月、本当に偶然というか期せずして、そんなやりとりをしたり、
そんなことについて直接的間接的に考える機会もなんだか少なくなかったのです。
まさか、目上であるのに勿体なくも私のような者に言葉にしてその感謝をおっしゃって頂いた機会もあり、きっと社交辞令なのだけれど、グッときてなりませんでした。
(私はええ歳をしていまだにアホなので社交辞令を(ビビりながら半信半疑ながらも)本気にしがち。笑)
あと、こりゃまた社交辞令なのだろうけれど、まだご縁が出来て日が浅いのに、「私の中ではもうmomoさん、と(認識してます)」といううれしくありがたいお言葉とキラースマイルを下さった紳士、
歳上やのに「姐さん」言うて下さり優しく熱いやりとりをさせていただけている兄さん、
いやいや、普段から、アホなこと言い合える皆、みんな。
今月いきなりじゃなく、じわじわと思っていたりしたことが、なんだか、最近、グッと沁みて感じるのかもしれません。
秋やから? そういう時期でしょ〜。これ、新喜劇のアキさんのギャグやね。
最近の、素敵かつありがたい(と私は思っている)出会いたち、
そして色々嫌な事とかもあったけれどこれまでが繋がっての、今なのかもしれません。
このところの私は、
すげーぼんやりふんわりでお恥ずかしいのですが、
人と人が一緒に生きていくこと、
理解や共感はし合えなかったとしても排除することなしに
共に生きていくことは出来ないか、みたいなことを本当に思うように考えるようになっていて。いや、信じたい、が正しいかな。
それは綺麗事できっとほぼほぼ無理で苦しいことだろう、ってのも
嫌ってほどわかっているので、その上で、その上で考えていきたい、というようなことを思っています。
これも、いや、これは、大好きな劇場(大好きな人のいる劇場)とそのステージに足を運んでいて、良い意味でのいろんなことを経験したり見たりして思うようになったことです。
で、ぼんやりふんわりすぎるけれど、
それらを世界(え?)みたいなの範囲や単位で考えたりするようになっても、いて。なんだ、また、わけのわからないことを言っているな。
アホなので毎回こういう抽象的なことしか言えず言わず日々ずっとヤキモキもしているのですがね。
日々すぐに一喜一憂、roller coaster🎢のように日々瞬間瞬間あがりさがりする人間です。
でも、いろんな方のおかげで、今があります、アホなことを言うていられます。
こういうのも、ちゃんと(例えばヤバいやつと思われても)言うて行こうと思うようになった最近です。
私も、ちょっとでも、おいしくて沁みる、ごはんみたいなものを、届けられますように。
日々、へたくそなりとも、強く、やさしくなり、やっていきたいです。
読み終えて、そんなことを、改めて考えたり、感じさせていただいた1冊でした。
あと、パンケーキ! 食べたくなりました。
ふわふわの。 ジャム付きね。
*
With ☕。
先日インスタでコーヒーコーヒーと騒いでいたところ、「豆から挽け」というコメントをいただいたので、お試しでカルディの買うたぞサタデーナイト。
*
もうひとつ。
「繋がり」を断ち切ること、
そうして前を向いて自分を生きること。
この夏出会った、圧倒的な熱と尖りで書かれた以下の作品も印象深かったです。
これも、私的に読めてすごくよかった1冊でした。
と、個人、とか、結果、とか、強さとは、みたいなことをゾクゾクする切り口と文体で書いた某ノンフィクションのことも、また。
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以下は、ちょろっとですがいつもの自己紹介 。
と、苦手なりにもSNSあれこれ紹介、連載などなどの紹介!!も。
よろしければお付き合い下さい🍑✨
ご縁がつながったりしたらとても嬉しい。
大阪の物書き、中村桃子と申します。
構成作家/ライター/コラム・エッセイ/大衆芸能(旅芝居(大衆演劇)やストリップ)や大衆文化を追っています。
普段はラジオ番組の構成や資料やCM書きや、各種文章やキャッチコピーやら雑文業やらやってます。
現在、lifeworkたる原稿企画2本を進め中です。
舞台、演劇、古典芸能好き、からの、下町・大衆文化好き。酒場好き。いや、劇場が好き。人間に興味が尽きません。
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簡単な経歴やこれまでの仕事など書いております。パソコンからみていただくと右上に連絡用のメールフォーム✉も設置しました。
現在、関東の出版社・旅と思索社様のウェブマガジン「tabistory」様にて女2人の酒場巡りを連載中。最新話、13回と14回も先日公開されました。15回も今月中にアップ!かも!
と、あたらしい連載「Home」。
皆の大事な場所についての文章、も、ぼちぼちと。こっちも更新せなあかんなー。
旅芝居・大衆演劇関係では、各種ライティング業。文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。あ、小道具の文とかも(笑)やってました。担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、アーカイブがYouTubeちゃんねるで公開中(貴重映像ばかりです。私は今回のアップにはかかわってないけど)
あなたとご縁がありますように。今後ともどうぞよろしくお願いします。
秋。体も気持ちもしんどくなりがちやけど。皆、無理せず、どうぞどうぞ、元気でね。