日本の中世史に関して関心を持つ人が増えてきた。「応仁の乱』や「享徳の乱』に関心を持つ人が増えてきた。好ましいことだ。しかし関東を中心とした「享徳の乱』な方が先に発生し、東国が西国に先んじて戦国時代に突入したのはなぜなんだろうか?私なりの仮説は持っているのだが、いずれ明らかにすることもあると思う。
「スターリンの将軍 ジューコフ」(ジェフリー・ロバーツ著 松島芳彦訳)を読み始める|https://ameblo.jp/lully-moliele-1660/entry-12627912248.html
よく日本政府は「日本固有の領土」という言い方をします。「日本固有の領土」とは自然発生的に存在したのではなく、何らかの政治権力が入って来て領土とされた地域が日本列島にはかなりあるのです。 日本国の成立の条件は、①国名を「倭国」から「日本国」に変えたこと。②王の名称を「オホキミ」から【天皇】と変えたこと。③成文法として「飛鳥浄御ガ原令」という法律ができたこと。この3つを持って「日本国の成立」とみなすことができます。 これは現在でいうと、南は九州の鹿児島県以外、北は山形、宮城、
手塚治虫が1950年から雑誌)漫画少年」に連載したのが「ジャングル大帝」です。しかしこの作品、手塚治虫の代表作の1つとされてはいますが、数奇な運命を持った作品です、何回も改訂版が出たり、あるいは一部の原稿の紛失というあり得ないアクシデントがあり、描き直した部分もあり、どれが決定版か分からなくなっています。 そしてこの作品にみられるのは、後年の手塚治虫の作品からは考えられないような「近代化への讃歌」です。レオたちが住むジャングルに近代的な医学などを持ち込めば幸せになれるという
アメリカの音楽学者で指揮者のジョシュア・リフキン氏が提唱した、主にヨハン・セバスティアン・バッハのカンタータやミサ曲の演奏方法。それは仮に独唱者がソプラノ、メゾソプラノ、テノール、バスと4人いた場合、バッハのカンタータ演奏では、合唱の部分はこの4人が歌って合唱としていた、という説に基づき、合唱団を置かない演奏方法を指します。バッハの時代にライブチヒでは週に1度の日曜日に多くの合唱団員を動員してリハーサルすることもできないため、独唱者のみど声楽パートを歌っていたとしています。最
ここで言う「戦国時代」とは、日本のそれではなく、中国の戦国時代のことです。 紀元前770年から始まった春秋時代は、それまで唯一の王であった、周の王が次第に力を失っていき、家来筋にあたる諸侯が力を持ち出した時代です。しかしそれでも諸侯は周王に対して、一定の敬意を払っていました。「春秋五覇」とは、諸侯を代表して諸侯に「起立!礼!」と号令する役割を果たす存在であると考えればよいわけです。「五覇]にはいろんな説がありますが、「斉の桓公」と「晋の文公」は必ず入ります。 さて春秋時代
「ラウテンベルク」とは、手で弾いて音を出すリュートの音色を、鍵盤を弾いて演奏できるようにした楽器です。「ラウト」とはドイツ語で「リュート」を指します。 この楽器の製作にはヨハン・セバスティアン・バッハ(以下「バッハ」と略する)が関わっているという言い伝えがあります。 バッハはリュートの音色が好きでしたが、リュートの演奏は出来なかったようです。これは彼がアイゼハナにいた少年時代に、周辺にはリュート演奏ができる者がいなかったことを示しています。成人して一人前の音楽家となったバ
以前は足利尊氏像と言われてきたこの騎馬武者は、どうやら尊氏の執事の高師直像ではないかと、近年では言われています。この像の上部には二代将軍で初代鎌倉公方である足利尊氏の長子である足利義詮の花押が書かれているのです。父の肖像画の上に息子が花押を書いたりするでしょうか。手綱の中に見える高氏(こうし)の家紋がこの肖像画が高師直であることを示していると思われます。 この武将の髪は短く切られています。これこそ尊氏が鎌倉から新田義貞率いる官軍を討つために挙兵した時の髪型である「一束切り」
手塚治虫が亡くなって今年で31年になります。わすれもしない1989年2月9日のことでした。そう考えて読者の年齢を考えてみると、少なくとも現在31歳以下の人は全くリアルタイムで接していないことになります。しかし31歳以上の人でも40歳未満の人は、ほとんど記憶がないのではないでしょうか? 最晩年は青年誌や朝日ジャーナル、それと創○学会系の雑誌に連載していたため、少なくともメジャーな存在ではなくなっていました。やはりリアルタイムで接したのは40歳後半である45最以上の人ではないで
結局、今年予定の東京オリ・パラ大会は来年の夏に変更になっなが、本当に開催できるのだろうか。新型コロナウイルスの感染のことが気になってならない。
中国史の4世紀とヨーロッパの4~5世紀は民族大移動の時代であり、非常によく似ていれのです。中国では「五胡‘が中原に侵入をはじめ、ヨーロッパではフン(匈奴)族の侵入をきっかけに、ゲルマン民族の大移動か始まりまず。彼らの原生地で気候の関係で食料不足の事態が発生した可能性があります。’
歴史すきですが、かなりレアや内容だと思います。よろしければご覧下さい