「騎馬武者像」について
以前は足利尊氏像と言われてきたこの騎馬武者は、どうやら尊氏の執事の高師直像ではないかと、近年では言われています。この像の上部には二代将軍で初代鎌倉公方である足利尊氏の長子である足利義詮の花押が書かれているのです。父の肖像画の上に息子が花押を書いたりするでしょうか。手綱の中に見える高氏(こうし)の家紋がこの肖像画が高師直であることを示していると思われます。
この武将の髪は短く切られています。これこそ尊氏が鎌倉から新田義貞率いる官軍を討つために挙兵した時の髪型である「一束切り」だと思われます。となるとだいたい1335年頃の鎧姿を示していることになります。大太刀を背負っていますが、これが相手が乗馬している時に馬ごと相手を斬る「斬馬刀」だと思われます。
甲冑は大鎧で鎌倉時代以前の作だと思われます。先祖から伝えられてきた武具でしょう。この南北朝時代には胴丸が次第に普及してきましたが、武将となると、まだ大鎧を着用していたものと思われます。また、足には草履を履き手には腕鎧、脚には足鎧を付けています。これは南北朝時代には武将クラスの武士と言えども徒歩による斬撃戦をしなければならなくなっていたのでしょう。
乗馬していて左足が奇妙な位置になっています。これには骨折説もありましたが、実際に乗馬していて馬が前足を跳ねあげた時には、このような足の持ちようで踏ん張らなければならないようです。
顔も他に残っている足利尊氏像(広島県尾道市浄土寺保存・京都市高尾寺の伝平重盛像=実は近年足利尊氏像とされている)と比較しても似ていません。この騎馬武者像の顔は、悪党で既成の秩序を壊そうとした高師直と見た方がふさわしいように思えます。