他人軸も悪いことばかりじゃないんだけどさ
前回の記事でたくさんの「スキ」をいただいたようで、とてもビックリしている。どうした???天変地異???
「老害」という表現はどうなんだろう??と思いながら、それでも書いてしまった記事で、それがなぜかたくさんの「スキ」をもらえることになったのは非常にありがたいけれど、記事の内容が「おせっかいおばさん」になりたくないという私の心の声がもれているだけなので、なんだか「スキ」をもらってすみません(汗)という気持ち。(汗)って久しぶりに使ったけど、今でも通じるんかな??
「人にどう思われるかを気にしていると、自分が自由に動くのは難しい」といった話を聞いた。「これをしたら、人にどう思われるか」が頭にあれば、自分がしたいこと、自分がしようと思っていることにストップがかかる。
ダサいと思われたくない、嫌われたくない、良い人だと思われたいなどなど、自分軸ではなく、他人軸が強まれば強まるほど、自分の人生が狭くて苦しいものになるという話。たしかにその通り。
しかも他人軸ってひとくくりにしてるけど、人の数だけ軸が存在しているはずなので、他人軸を意識することは、自分の周囲に居る人すべての軸を気にしないといけないことにもなり、それって非常に面倒くさいのでは?と思ったりした。
私は思いっきり他人軸で生きている人で、自分軸って何ですか??というぐらい自分を見失ってきたけど、他人軸で生きるって面倒だし、しんどいことも多いんだけど、ラクな面もあるんじゃないかと気づいた。
他人軸は、人が決めた価値観にしたがっていればいいので、その点ではラクなのでは?
決められたレールの上を走るのは嫌われやすいけれど、人の決めたレールに乗ることは、試行錯誤して自分のレールを1から組み立てるよりもずっとラクなはず。もう敷いてあるし、そこを走ればいいんだから。
諸悪の根源のように思えていた他人軸だけど、それに従うことで、責任とか意思決定とか、そういった疲れる要素を手放せているってことかもしれない。
とはいえ、やはり他人軸よりも自分軸のほうが、ストレスの度合いが違うようには思う。人の決めたことにしたがっていれば、誰かのせいにしたくなるストレスが発生するけど、人のせいにするストレスは、延々と続くし、たぶん自分が決めて行動して失敗したときのストレスよりも、何倍もしんどいものだと思う。
自分軸で生きたいね、いや生きないとね。そんなことを人のレールに乗りながら思っている私。そろそろそこから降りろ。
そんな最近の読書は『見知らぬ人』。
ヴィクトリア朝時代の作家ホランドの自宅が中学校になっていて、そこで英語教師として働きながらホランドの研究をしているクレア。ある日、同僚が殺害され、ホランドの小説から引用されたメモが発見される。
英語教師、その娘、女性刑事の3人の視点で語られる事件。章が変わるごとに主役が変わるため、視点があちこちに行きつ戻りつしている感もあったけれど、視点の変化が事件を複雑にしながらも明確にしていくので面白かった。事件の真相は最後までまったく気づきませんでした。良い読者でしょ?
本当はこの『見知らぬ人』ではなく、新刊案内で見かけた『窓辺の愛書家』が気になっていたのだけど、どうやらこの2冊はシリーズ物らしいので、先に『見知らぬ人』を手に取ってみたのだった。シリーズとはいっても、同じ女性刑事が登場しているだけっぽいんだけど、『見知らぬ人』を読めたのは良かったと思う。これで『窓辺の愛書家』も心置きなく読める。
最近読んでいた翻訳小説たちの共通点が、離婚してシングルマザーになった女性たちが主役になっていたと気づいて、たんなる偶然で手に取ったとはいえ、ちょっとビックリしている。
元夫への不満、そして新たなロマンスを物語に盛り込むことは、読者を楽しませる点で役に立つのだろうか(邪推)。
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