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読書日記・それはそれで味があって

12月23日(月)

酒井順子さんの『老いを読む 老いを書く』を読む。老いを意識する年齢になったらしく、こういった本が気になるようになった。

「人生50年」だった時代では、認知症への不安も、介護問題への不安も、老後資金に対する不安も、今のように存在していなくて、でもだからといって何の不安もなかったかといえば決してそうではなくて、老いることで家族に迷惑をかけるかもしれないという不安は、同居していることが多かった時代のほうが、今以上に重くのしかかっていただろうと思うと、何の不安もなく老後を過ごすなんてのは難しいんだろうな、なんてことを思った。

そもそも今生きることですら不安がいっぱいな人間なのに、老後に何の不安もないわけがないし、何かしらに不安になりやすい私のような人間は、どの年齢になろうと不安を抱えてしまうということが分かったので、だったらアタフタしなくても、いつだって不安なことがあるのよ、不安なんてなくならないのよ、と考えていたほうがいいのかもしれない。何かしらの不安は永遠になくならない。だから不安を無くそうとしなくてもいい。そう考えてみるとちょっとラク。本の内容とはまったく関係のないところで、自分に結論が出たけどよかった。





12月24日(火)

森博嗣さんの『つむじ風のスープ』を読む。ニュースでよく見る「世間の声」を、社会の代表の声だと思わないほうがいいみたいな話があった。言われてみれば当たり前のことなんだけど、ニュースやSNSなどで見聞きすることが正しいと思ってしまうことも何度かあるのは事実で、しかしそれらも一個人の意見にすぎないこと、人の意見に流されないこと、自分の頭で考えるクセをつけることが大事なんだと教えられる。なるほど。流されやすい私には重要なことだけど、しかしこうして本を読んで感化されていることも、人の意見に流されているということなのでは???? と考えてしまうと、素直に森さんの意見を聞き入れていいのかどうか分からなくなる。難しいね。





12月25日(水)

子どもたちにはサンタさんからのプレゼントが届いていた。不思議なことに私へのプレゼントが見当たらなかった。ショック。




12月26日(木)

町田康さんの『口訳 古事記』を面白く読んでいるけれど、他の人が書いた古事記も気になるので、こうの史代さんの『ぼおるぺん古事記』も読んでみることにした。

漫画で描かれているとはいえ、こうのさんの古事記は原文なのでその辺りが多少難しく感じる。しかし私は、町田さんの本である程度は話の流れを理解していたらしく、こうのさんの古事記もわりとスムーズに読むことができている。訳されたもの、そして漫画になっているもの、相互作用で理解が進んでいてとてもいい感じ。






12月27日(金)

子どもたちが冬休みなり、そろそろこの日記を書くことが難しくなりそうな予感。年末年始にもなるし。さてどうしたものかと思ったところで、そういえば昨年の年末にも同じことを考えていたなぁと思い出す。毎年のように同じ悩みを抱いているところが自分の成長しない部分なんだけど、それはそれで味があってよいのではないだろうか(自分を否定しないスタイル)。

2024年は毎日の日記を綴ってきたけれど、2025年は書きたい日だけ綴っていく日記にしようかとも考えている。毎日の記録を残すことをしなくても、書きたい時にダラダラと書いて、読む人をイライラさせるスタイルでもいいかな~なんて思ったりした(迷惑)。

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