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そうたの小さい頃の話し

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①4歳🌼地域の幼稚園

①4歳🌼地域の幼稚園

3歳からお世話に
なっていた療育場では
卒業しましたが、1時間の
運動療育に通うことになり
週1は通っていました。

そうたの特性なども
わかってくださるので
保育所等訪問支援も
一緒にお願いすることに
なりました。

・保育所等訪問とは
子供の発達支援を目的とし
児童福祉法に基づいて
行うサービスです。
保育所、保育園、幼稚園、
小学校などを訪問し
子供が集団生活を
楽しく送ることが
できるよう

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③3歳

③3歳

3.4歳で通ってた療育場は
そうたは癇癪はありましたが
行きたくないはありませんでした。

朝の送迎はいつも寄り道が
多く療育場所に連れて行くのも
大変でした。

自動販売機を
自分が気がすむまで
眺め、触り、
側溝も1っこずつ穴をのぞき
小石を探して、穴に落とすのを
気がすむまでやって
いました。

あの時はため息ばっかりして
まだ終わらないの!と
イライラもしてました。

車から療育場まで徒歩

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②3歳

②3歳

新しい療育場所は
先生の頑張りで
毎日1時間以上
歩いてたので
よく転んでいましたが
転ばなくなっていました。

先生たちが
頑張ってるのに
私も頑張らなきゃと思い
散歩は大変でしたが
全力でやろうと心に
決めたと思います。

私も毎日沢山
散歩しました。

気づいたら
ずっと悩んでいた
指しゃぶり
しながら歩いてた
そうたが
寝る時以外は
やらなくなって
いました。

我が家では
魔貫光殺砲チュ

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①3歳

①3歳

前の療育場所を辞め
そうたは
3歳を過ぎていました。

辞めた原因はこちらから

2歳、3歳は怪我を
よくして大変でした。

3歳過ぎてもそうたは
言葉を話す事は
ありませんでした。

病院の先生にやっと
重度知的障害も
あるでしょう
と診断され
特性も濃ゆいと
言われました。

やっぱりそうだよね。

癇癪ひどいなら
薬だすょ!
とも言われました。

3歳で薬!!?

私は断りました。

強度行

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④2歳ごろの話し

④2歳ごろの話し

そうたが療育に通って
6ヶ月たっていました。

癇癪が減って
いました。

でも私の心と体はボロボロ
週5は大変でした。

暴れてたんこぶはできるし
足にはあざができるし
頭から血が出た時もありました。

それなのにそうたは体調を
クズすことは
ありませんでした。
体力ありすぎ!

風邪ひいたら療育
休めるのに笑

私は毎日ほぼ連れて
行ってました。

私が頑張って連れて
行けたのは
先生たちがそ

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③2歳ごろの話し

③2歳ごろの話し

療育がはじまり3日間だけ
一緒に通いました。

私は心配だったので
しばらく付き添い
したかったのですが
他の子も親と通ってないので
断られてしまいました。

嫌なことがあると
勢いよく頭を地面、床などに
頭をぶつけるので
いつも手で支えていました。
泣くとえび返りも酷く
骨が折れないか毎日心配してました。

お母さん!心配しないで!
私たちはプロです!
離れるのも大事ですょ!

言われた時はほっ

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②2歳ごろの話し

②2歳ごろの話し

そうたに障害あるとわかってからは
落ち込んで泣いてばかりでした。

病院の先生に
喋ることもできない子も
います。
言われた時は
ショックだったな。

あの頃はなんでも
マイナスに考えてました。

私と違って旦那は
ポジティブでした。
元気だし、可愛いから
問題ないさぁ
まだ2歳なんだし
これからだょ!
一緒に頑張ろう!

今考えると私が
落ち込んでたので
明るくしてくれてたんだと
思います。

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①2歳ごろの話し

①2歳ごろの話し

最初の赤ちゃんから3歳ごろまでは
私は障害をみとめたくなく受け入れませんでした。自分の子は普通だよと思っていました。
でも上の子たちと全然違うし、名前を読んでも
振り向いてくれない、おもちゃで遊べない
歩くのも転んでばかり、ご飯も全然食べない
じっとする事ができない
言葉もなにもありませんでした。

現実を受け止めないといけなと実感し
私は前に進もうと決意しました。
2歳児ごろには専門医に見てもら

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