②3歳
新しい療育場所は
先生の頑張りで
毎日1時間以上
歩いてたので
よく転んでいましたが
転ばなくなっていました。
先生たちが
頑張ってるのに
私も頑張らなきゃと思い
散歩は大変でしたが
全力でやろうと心に
決めたと思います。
私も毎日沢山
散歩しました。
気づいたら
ずっと悩んでいた
指しゃぶり
しながら歩いてた
そうたが
寝る時以外は
やらなくなって
いました。
我が家では
魔貫光殺砲チュチュと
読んでいました笑
アニメ、ドラゴンボールの
ピッコロの
技の名前です笑
人差し指と
中指を口に入れてたから
です笑
悩んでため写真がこれしかありません笑
石や葉っぱ、砂も
口の中に入れなくなって
いました。
先生方が外遊び
水遊びも
たくさんしてくれました。
汚れても気にしない!
たくさん好きなだけやらす!
あんなにやり続けていた
水たまりの中にも
徐々に入らなくなっていました。
以前は
とても悩んでいましたが
時間たったら
忘れています笑
3歳の療育場では
そうたはのびのびして
楽しんでたと思います。
しばらくすると
1人の男の子も
通う事になり
幼稚園にむけての
練習が始まりました
・朝きたらタオルをカゴに入る
・連絡帳を出し、今日の日にちに
シールを貼る
・弁当を出す
・自分のカバンを片付ける
そうたには難しい事で
嫌がっていました。
朝の準備だけでも
頭をガンガンしてました。
たくさん練習しました。
昼寝の練習も大変でした。
そうたはショートスリーパーなので
そうたは昼寝をさせる為に
毎朝5時半に
起こしていました。
とても大変でした。
布団のこだわりもあり
家で使ってるタオルケット
じゃないと使わなく
家で使ってるおんなじ物を
買って準備して寝かして
いました。
あまり寝かすと
夜が寝ないので
1時間半の昼寝でした。
小さい時からほんとに
体力がすごかったです。
ようやく朝の準備が
慣れたころ
お世話になった先生が
やめる事になって
しまいました。
家庭の事情なので
仕方ないことでした。
そうたのために
一生懸命な
先生だったので
寂しいかったのを
覚えています。
新しい先生になり
不安でしたが
あった事の
ある先生
だったので
そうたは大丈夫でした。
新しい療育場では
ほんとに
お世話になったと
思います。
たくさん成長できたと
思います。
続きは次回