紙の教科書の大切さ
IT先進国のスウェーデンは2006年、1人1台に学習用端末を導入、デジタル教材への移行が一気に進んだ。
ところが昨年、学習への悪影響があるとして紙の教科書への「脱デジタル」に大きく舵を切った。
デジタル教材になってから、子どもたちの集中力が続かない、考えが深まらない、長文の読み書きができないという弊害がで始めたという。
近年、スウェーデンで実施された学力を測る国際調査では成績の落ち込みが目立つようになった。
ノーベル生理学・医学賞の選考機関カリンスカ研究所のトルケル・クリングベリ教授(認知神経科学)は、
と指摘している。
今春まで大学の通信教育部で学び直しをしていたが、コロナ禍であったことも重なり授業はほぼオンラインだった。
教科書と副教材が紙だったことが救いだった。
消せるボールペンやカラーペン、マーカーペン、ノートを買い込み、インクが無くなるまで使う喜びを久しぶりに味わった。ラインや書き込み、付箋やインデックスが教材に増えていくことと、内容が身につくことが比例しているようでやり甲斐に繋がった。
もしも教科書や副教材までもがデジタルだったらどうだっただろう‥。
作業的なことなら問題はないと思う。
深い記憶として留めるためには、ワンクリックの見やすくて平面的な情報からは私の場合、理解に時間がかかりそうだ。
情報が動画やアニメーション、音声に載っていたとしたら、より想像力を欠く気がする。
何より膨大な情報量に咀嚼が追いつかない。
表紙のデザイン、重さ、厚み、ページをめくる音、触り心地。間違った書き込み、雑な下線、雨に濡れたよれよれの縁、食べこぼしたシミ、肖像画の髭やメガネ、ぱらぱらマンガ‥。
勉強とは関係のない、一見意味のない体験の記憶。
だけど私たちは画面をスクショするように記憶してはいない。物理的な体感は記憶の味付けやスパイスになる。
手間や手順を惜しみ「ファスト」的に学んだことは忘れるのも早いはず。
日本は当面、紙教材を中心にデジタル教材を併用すると聞いてほっと胸を撫で下ろした朝だった。