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大河ドラマ「光る君へ」第14話~『蜻蛉日記』について

こんばんは、もちまるです。

今日は、大河ドラマのお話です。
ネタバレありますので、ご注意ください。


今回は、兼家が物語から退場するという大きな節目を迎えました。

兼家が藤原寧子と言葉を交わした場面がとても印象的だったので、今回は『蜻蛉日記』について書こうと思います。

『蜻蛉日記』については、2回ほど過去に記事を書いています。
重複する部分もあるかもしれませんが、この記事だけ見た方にも分かるように少し和歌に触れますね。


今回のドラマ中で、兼家は、寧子に向かって以下の和歌を口ずさみます。

嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る

『新総合図説国語』から引用

(現代語訳)
あなた(兼家)が来ないのを嘆きながら、独りで寝る夜が
明けるまでの間はどんなに長いものであるかをあなたはお分かりでないでしょうね

『新総合図説国語』から引用

この和歌は、以前もご紹介したように百人一首の和歌にもなっており、
寧子が書いた『蜻蛉日記』中の和歌になります。

寧子、ここでは道綱母と呼びますが、道綱母は兼家にとっては正妻ではありません。

その為、兼家が来るのを「待つ女性」なのです。
兼家が道綱母のもとを訪れるのを「待つ」という中で詠まれたのがこの和歌であると考えられます。

『蜻蛉日記』は、道綱母が兼家に対しての不満を訴える部分もあり、
いわゆる夫婦関係の暴露本とも言われています。

その暴露本とも言われている『蜻蛉日記』を兼家は読んでいたのでしょうか?

面白い記事を見つけました。
以下、引用になります。

作品は長編なので、作者一人の財力では紙も用意できません。実家の父は国司でそれなりに富裕ですが、中級貴族です。権力者・兼家に楯突きたくはなかったでしょう。結局この作品は、兼家自身がスポンサーとなって書かれたとしか考えられないのです。

ステラnet  https://steranet.jp/articles/-/2770  より

兼家は3兄弟で、長兄・伊尹(これただ)にも次兄・兼通(かねみち)にも自作の和歌集がありました。しかし兼家にはありません。ならば自分も妻に便乗して、自作を世に広めてもらおうと考えて執筆を許した、いいえ、むしろ勧めたのではないか。現在ではそう考えられています。妻である作者の苦しみなど、兼家には武勇伝にすぎなかったのでしょう。彼は、妻を利用して“雅みやび男(お)”の名を流したことになります。

ステラnet  https://steranet.jp/articles/-/2770  より

記事の全文はこちらから。

つまり、『蜻蛉日記』は兼家がスポンサーになって書かれた作品であり、兼家自身にもメリットがあったということになります。

とても面白い視点です。

大河ドラマを見ている時、「なぜ『蜻蛉日記』で道綱母が詠んだ歌を兼家が口ずさんでいたのだろう?」という疑問がありました。

兼家のいわば愚痴のようなものが書かれた作品を兼家が読んでいたのだろうか?という疑問があったのですが、この説を読むと合点がいきます。

実際、私も大学生時代『蜻蛉日記』という作品を通して兼家という存在を知りました。

『蜻蛉日記』がなければ、兼家のことを認識することもなかったと思います。

そのようなことを考えると、『蜻蛉日記』は日本文学史の側面から見ても、また歴史的な側面から見ても、重要な役割を果たしたようにも思えるのです。

私自身、『蜻蛉日記』を専門的に学習したわけではないので、まだまだ分からない事も多いのですが、今回の視点はとても面白い発見になりました。

以上、簡単ではありますが『蜻蛉日記』の考察でした。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。




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