「生きづらさ」という言葉に持てる希望
生きづらさそれ自体は忌むべきものだが、
生きづらさという言葉には力がある。
自己責任論の隆盛、個人化が進む社会において、
一人でリスクを背負って生きていかなければならない私たち。
1つの属性だけに当てはまらない、
どう表現すればわからない、生活する上での心身の困難を、
生きづらさという言葉は1つにしてくれる。
質は明らかに異なり合うものたちを繋ぎ合わせてくれる。
完全にはわかり合えないけれど、なんだか私と似てるかも、と思える。
精神を病んでしまった人たち。
障がいを持った人たち。
いじめ被害にあった人。
不登校やひきこもり。
パワハラ。
DV。
LGBT差別。ジェンダー差別。人種差別。
貧困。
理由は無いがとにかく生きづらい人たち。
ここには挙げきれないいくつもの困難が、
固有の名前では結びつかないそれぞれが、
「生きづらさ」という言葉の下にはゆるーく1つに繋がることができる。
ガッチリと、強固にではなく、緩やかに繋がることができる。
生きづらさなんてないに越したことは無いんだけれども。
この言葉があったからこそ出会えた人がいて、その人のおかげで生きやすくなれた。
なんてことがあるのなら、敵視すべきこの言葉にも、僕は実は助けられることが今後あるのかもしれない。
そう思った次第です。
小野トロ
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