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第4回梅屋敷ブックフェスタ行ってきました!

6月22日に東京 梅屋敷の仙六屋カフェで開催された「海外文学翻訳家が集う本のイベントーー第4回梅屋敷ブックフェスタ」に行ってきました。

このイベント、参加されている翻訳家の方々があまりにも豪華で、はじめTwitterで告知を目にしたときは我が目を疑いました。

柴田元幸さん(英語圏文学)
岸本佐知子さん(英語圏文学)
斎藤真理子さん(韓国文学)
白水紀子さん(中国語圏文学)
星泉さん(チベット文学)
阿部賢一さん(中東欧文学)

こうした著名な翻訳者の方々が、それぞれブースで本を即売し、また対談イベントをするーーそんな夢見たいなイベントでした。

また、かねてからリスナーをさせていただいていたポッドキャスト番組「文学ラジオ 空飛び猫たち」のブースもあり、パーソナリティのお二人にも初めてお会いできました。

周りに海外文学好きが少なく、読んだ本の話をあまりできない環境にいる私にとって、自分よりも圧倒的に知識豊富な方と文学談義を楽しんだり、あちこちから文学にまつわる会話が漏れ聞こえてくるこのイベントは、とても居心地が良くて最高に楽しい時間となりました。

今回はそんなイベントで翻訳者の方々と交わした会話や、対談イベントのことなどを備忘録的に書いていきたいと思います。


作家を信じ切るーー台湾文学・白水紀子先生

最初に寄らせていただいたのは白水紀子先生の中国語圏文学ブースでした。
白水先生は台湾人作家 甘耀明の翻訳を精力的にされています。
奇しくも、最近先生が翻訳されたアンソロジー『台湾文学ブックカフェ3 短篇小説集 プールサイド』を読ませていただいたばかりで、当著作もブースに並べられていたので、半ば吸い寄せられる形でお邪魔しました。

『台湾文学ブックカフェ3 短篇小説集 プールサイド』

まさか翻訳者本人に「鍾旻瑞さんの『プールサイド』好きです」と告白できるとは思いませんでした。

そう、翻訳者との距離がめちゃめちゃ近いのです。
会釈してブースに近づき、気になった本を手に取ると、すぐに話しかけてきてくれるのです。
そしてこちらがドギマギしているのも関係なく、すごく楽しそうに作品について語られるのが印象的でした。

私がたまたま手に取ったのが、『プールサイド』と同じシリーズである、『台湾文学ブックカフェ1 女性作家集 蝶のしるし』でした。
白水先生によると、レズビアン作品が多いのだとか。
そういえば『プールサイド』もセクシュアルマイノリティを題材にとる作品が多かった気がします、とお話ししたところ、
『プールサイド』の方は意識してセクシュアルマイノリティ作品を取り上げたわけではなく、面白い作品を取り上げたらそういう作品が多くなっただけ、ということで驚きました。
『蝶のしるし』の方はもう少しレズビアン作品を意識して選書したとのこと。

台湾ではセクシュアルマイノリティの理解が日本より進んでいて、ジャンルとしての「ゲイ文学」「レズビアン文学」みたいなものすら無いそうです。
セクシュアルマイノリティであることがテーマにすらならないほど、普通なこととして受け入れられているんですね。

ただ、中国の存在感が増してきた今、作家はこれまで通り書き続ける事ができるのでしょうか?と思い切って質問したところ、「大丈夫!」との力強い返事が。
作家たちは頑張っているし、一度築かれた土壌は簡単には崩されない、との事でした。
なんだか弱気になってる自分が恥ずかしいくらい、作家の方達を信じておられる様子でした。

また、今まさに翻訳中の作品の簡単なあらすじも教えていただきました。
40代の中年女性が主人公で、台湾からドイツに移動する事で、独身であるということからくる社会的な抑圧から解放されていく物語だそうです。
ただし、ドイツにすっかり順応されるわけではなく、ガッツリ台湾を引きずっていく……というところが新しいのだとか。
すごく面白そうだし、なんだか自分にぶっ刺さりそう。
出版されたら読んでみようと思います。


一緒に本選びーー英語圏文学・岸本佐知子先生

次にお邪魔したのが英語圏文学を翻訳しておられる岸本佐知子先生のブースでした。
ここで私の勉強不足が遺憾無く発揮されたのですが、ブースに並んだ著者の名前で知ってる人が一人もいませんでした……。
「知らなくて当然ですよ」と岸本先生はおっしゃって下さいましたが、自分がいかに現代文学に疎いか痛感させられました。

太刀打ちできそうにないので、思い切って岸本先生にお勧めの本をお伺いしたところ、「どんなものがお好きですか?」と逆に聞かれてしまい、
その時の気分で「ミラン・クンデラが好きです」とお答えしました。
するとすぐに2〜3冊を紹介していただき、その中から『居心地の悪い部屋』という短編アンソロジーを選びました。

ホラーのような怪奇のような、不気味な話ばかりを集めたアンソロジーというのが気になって。
ミラン・クンデラ好きとか言いながら結局ボルヘスみたいな本選んじゃったなと、あとからちょっと恥ずかしくなりました……。

岸本先生は自身でエッセイも書かれていて、『居心地の悪い部屋』を読み終えたらそちらも読んでみたいなと思っています。


大御所とまさかのお喋りーー英語圏文学・柴田元幸先生

柴田元幸先生のブースに近付くのはかなり勇気がいりました。
なんたって英語圏文学の研究・翻訳の第一人者でいらっしゃるし、名だたる文豪ーーサリンジャー、フィリップ・ロス、ボルヘス、ジャック・ロンドンなどなどーーの著作を翻訳してきた大御所ですし、なんならこの日のためにサリンジャーの新訳『ナイン・ストーリーズ』を読了したくらいだったので……。

ですが、実際ものすごく気さくな方で、すぐに肩の力を抜くことができました。

『ナイン・ストーリーズ』のなかの『テディ』が好きです、という告白もできました。「ああ、あの預言者のやつね」という反応でした、そらそうや。

ブースのいちばん手前に、沼野充義さんとの対談本か置かれているのに気づきました。

沼野先生とはご友人関係なのですか?とトンチキな事をお伺いしてしまい、「同僚なんです、東大の」という言葉に、そうだったーーー!と。
緊張がほぐれてると見せかけて、頭の中はガチガチだったのでした。

「沼野くん好きなの?」「ファンです」「そうなんだ。彼も健康状態が心配だよね。健康が大丈夫だったら、このイベントにも参加してもらったのに。」

恥ずかしながら沼野先生の健康状態が芳しく無いことも知りませんでした……。
沼野充義先生は、スタニスワフ・レムの『ソラリス』や、ワイリとゲニスの『亡命ロシア料理』で出会い、東大の最終講義を聴いて、一方的に敬服する存在でした。
なので心配です。というか柴田先生が「沼野くん」呼びなのビックリしました。

他にも、「目利き」の話を伺いました。
だいたいどれくらいの割合で「これは翻訳したい」と思える作品と出逢いますか?とお聞きしたところ、「1%です」と。
先生のご友人で音楽をされている方が、どんなに下手な曲でも作曲者の意図が見えたりして、どんな曲もそれなりに楽しめる、ということを言っていたけど僕は無理だ。
つまらないものはつまらないと思っちゃう、と。
うわーわかるー!と思って一緒に笑いました。

ところで柴田元幸先生はスティーヴン・ミルハウザーがお好きで、ブースにもたくさん訳本が並んでいました。
恥ずかしながら私は一冊も読んだ事がないのでお勧めを紹介してもらいました。

スティーヴン・ミルハウザー『イン・ザ・ペニー・アーケード』

ミルハウザーの初期の作品だそうです。
サインも貰っちゃいました。家宝にします。


国家権力と詩ーー韓国文学・斎藤真理子先生

斎藤真理子先生のブースも近付くのに緊張しました。
まさに昨今の韓国文学ブームの火付け役であり、ブーム牽引者でもある斎藤先生のお名前は、様々なメディアで何度もお目にかかったことがありますし、
何よりハン・ガンの著作の翻訳者でもあるということで、実はこの日のためにハン・ガン『すべての白いものたちの』を読了していました。

ハン・ガン作品は本当に強烈です。
まるで詩のような文体で、言葉のもつ見えない力を見せつけられるような作品なのです。
原典がもつそうした力を減退させずに翻訳するにはどれほどのテクニックが必要なのか、想像もつきません……。

ブースではかねてより購入検討していたチョ・セヒ『小人が打ち上げた小さなボール』と、ハン・ガン『引き出しに夕方をしまっておいた』を買いました。

斎藤先生が『引き出しに夕方をしまっておいた』を指して、「これ詩集だから高くてごめんなさい、これくらいの薄さだったら韓国では1000円切りますよ。日本では詩集は売れないから、普通の書籍より高くなるんです。」とおっしゃいました。

確かに『引き出しに〜』は2000円以上するのですが、ではどうして韓国ではそんなに安いのか?

韓国では詩に需要がある、売れるからたくさん刷って安くできる、ということなんですが、
日韓のこの詩に対する需要の違いって、一体何からきてるんでしょうか?

斎藤先生は、韓国の過酷な歴史に理由があるといいます。
日本統治時代、独立後の開発独裁時代と、韓国では言論弾圧の時代が長く続きました。
詩は、そうした弾圧の間を掻い潜って、暗喩を駆使して政権を非難したり、権力を揶揄したりしてきたから、市民にも広く求められた。
これは小説などと違って、短いからこそ覚えて口ずさめるし、口語伝承も容易だからなんでしょう。
こうして詩を愛する土壌が形作られていったようです。

確かに、詩といえば真っ先に思い浮かぶロシアも、社会主義時代など、言論弾圧の時代が長かったですよね。

日本は比較的自由な論壇があったために、詩は小説やルポと同じ"文芸の一つ"としてしか人々に求められなかった。
韓国やロシアのように、詩が特別な地位を築くことはなかった、ということでした。

こうした会話を斎藤真理子先生と楽しめるなんて夢にも思いませんでした。


戯曲の面白さーー中東欧文学・阿部賢一先生

阿部先生は主にチェコ語の翻訳をされているそうで、チェコの作家なんてクンデラしか知らない私は、ブースを見ても知ってる著者がほとんどいませんでした。
ただし、ブースの奥の方にカレル・チャペックが数冊並べられていたので、自然手に取りました。

「チャペックのこの作品(戯曲『ロボット』)は「ロボット」という言葉の発祥になったんですよ。」と、声をかけていただき、
前から気になっていたんですが、小説ではなく戯曲だからちょっと物怖じしていました、とお伝えしてみたところ、
「戯曲面白いですよ!」と。

正直シェークスピアみたいなのを想像していたのですが、阿部先生の話では全然違っていて、まるで人の議論を横で聞いてるみたいな感じだと。

話の流れは、人型のロボットを作ったところ、それが自我を持ってしまい、人間に歯向かって壊されてしまう……という典型的なシンギュラリティSFのようなのですが、
ロボットに人権を認めるべきか?という事を、さまざまな立場の人(農民もいるそうです)が議論しあうんだそうです。
ロボットが居てくれたから仕事が楽になった!という人もいれば、反対の人もいて……と。

老弱男女、出自も様々の登場人物たちがロボットについて膝を突き合わせて話し合う。
戯曲だからこそできる表現かもしれません。

確かに面白い!と思って手に取ろうとしたところ、タイミング悪く対談イベントが始まってしまいました。
で、イベント後にもう一度ブースを伺ったところカレル・チャペックは全て完売。
登壇された先生のお話が面白くてお客さん殺到したみたいです。さすがです…。

チェコ文学の独自性はシニカルなアイロニーかな、なんてお話いただいているうち、一冊の本が目に留まりました。

パヴェル・ブリッチ『夜な夜な天使は舞い降りる』

先生によると、いろんな天使が出てきてヴァスコ・ダ・ガマに憑いて希望峰まで行ったり、社畜に取り憑いて自分の方が疲れてしまったり、チェコ風のアイロニーが効いていますよ、とのこと。
著者はそこまで有名な方ではないみたいですが、児童文学の作家だそうで、パラパラ読んだ感じもとっても読みやすそうでした。

ちょうど児童文学に興味があったのでお買い上げし、サインも貰ってしまいました。嬉しい。


チベット人は全てを物語にするーーチベット文学・星泉先生

もしかしたらいちばん楽しみにしていた訪問かもしれません。
星先生のブースには、やっぱり何か、ヒマラヤの空気やカトマンドゥの雑踏みたいなものが漂っていた気がします。

いつか読もうと思っていたラシャムジャ『路上の陽光』をはじめ、書店で見かけて気になっていた本がズラリでした。

もう思いっきり目移りしまくっていましたが、星先生は、私が手に取った一冊一冊のあらすじを非常に丁寧に教えて下さいました。
最近刊行されたツェリン・ヤンキー『花と夢』と、ツェワン・イシェ・ペンバ『白い鶴よ、翼を貸しておくれ』の2冊で迷い、後者を選びました。

『花と夢』はチベットではコロナ禍の中で刊行されたそうで、空前の大ヒットだったそうです。
というのは、YouTubeで本著の朗読をした動画がたくさん上がり(もちろん無許可だそうです笑)、字が読めない人達も物語に接することができ、ブレイクヒットとなったそう。
地方の方言で朗読した動画も多々あり、著者の元にはたくさんのメッセージや、主人公達を心配する声が届けられたそうです。

人の行き来が難しい険しい地形、たくさんの方言、識字率の低さ……そういったものをYouTubeが飛び越えて、『花と夢』の物語を届けたのだと思うと、なんだか感動的です。

私の選んだ『白い鶴よ、翼を貸してくれ』は、大河ドラマみたいな長編歴史小説だそうです。
帯の絵や地図イラストなどは、星先生のファンである漫画家さんのファンアートだそう。

最後にチベット語でサインしてもらいました。
全然読めない文字に猛烈なロマンを感じます。

読む前から大好きな本になりました。


パーソナリティのお二人と出会ってしまったーーポッドキャスト番組「文学ラジオ 空飛び猫たち」

最後に、かねてより番組を聞かせていただいていた「文学ラジオ 空飛び猫たち」のパーソナリティである、ミエさんとダイチさんとお会いしました。
普通に立ってらっしゃったので、「ファンです」と言いそびれてしまい、先に「ポッドキャスト番組をしていて……」と説明していただいてしまいました。

私、文学系のポッドキャストは2番組しか聴いていないのですが、「空飛び猫たち」さんは新刊本を精力的に紹介していただいていて、読書案内的に聞かせてもらっていました。

お二人の文学作品の知識や間テクスト性を感じるお話を聞いていて、きっと大学で学ばれたんだろうなと思っていたのですが、
決してそうではないことをお聞きして驚くと同時に、私も読書を積み重ねればあそこまで行けるんだ、という(謎の)励みになりました。

面白かった回は何ですか?と聞かれ、マイケル・オンダーチェ『名もなき人たちのテーブル』と答えましたが、
あともう一つ、プラトーノフ『チェヴェングール』も言えばよかった…!と電車の中で思い出し後悔。

なんだかトンチンカンなお話をしてしまった気がしますが、お二人とも気さくに答えてくださり、最後はサインまで貰えて感無量でした。
(サインの練習までしていただいて、なんだか恐縮でした、ありがとうございます。)


イベント全体を通してですが、非常に穏やかに時間が流れていて、翻訳者との距離がものすごく近く、参加者の方々もリテラシーが高くて気さくな方ばかりで、なんだか夢のような時間でした。
そしてなんだか優しい雰囲気があった気がします。
文学に真摯に向き合う人たちの感受性の高さ、物事を深く捉えようとする姿勢、アイロニーを楽しみユーモアで返す会話、笑い、全てが穏やかで愛おしかったです。

本当は対談イベントのことも書きたかったのですが、どこまで書いていいのか、もしかしたら何らかの形で出版されるのかも分からないので、しばらく様子見しようと思います。

心が満腹になり、昼食を食べ損なって本当は空腹だったのも分からないほどでした。
またこんなイベントがあったらどんどん参加していきたいと思いました。

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