[理系による「文学」考察] 芥川龍之介 "藪の中" (1922) ➡文学でキュビズムを実現した"雁"を超えるキュビズム
"雁"を超えたキュビズム、かつ、読者を教養を試す挑戦的な作品ですが、まずはキュビズムと"雁"の関係から説明します。
キュビズムは下記で言及したように、3次元を2次元で表現するための遠近法とは異なった手法による表現方法です。
キュビズムを少し拡大解釈して、ある事象における多面的要素による再構築、と定義してみます。
下記で考察していますが、文学でキュビズムを実現するには?、に1つの解を出す作品が"雁"と思います。2人の主人公による同時刻の2つの異なるストーリーが、交差しそうで交差しないギリギリのもどかしさの中で物語が紡がれ、1つの作品として大成するのは、これってキュビズムじゃん!、と考えた次第です。
で、"藪の中"ですが、"雁"を超えたキュビズムで作品を構築することに成功しています。
具体的に、"雁"は2つの事象であったものが、"藪の中"は3つの事象に増え、その複雑さが大幅に上がっている、と言えますが、この作品のすごいところは、意図的に再構築しきらないところで終えているところです。ただし、作品としては完成しています。なぜ、再構築しないところで終えたかというと、読み手の想像力で構築できる余地を意図的に残すためです。
「個別のパーツは何を描いているか分かるようにしました。また、そのパーツを用いた大まかな完成形は最低限分かるようにしたので、後の再構築は自身でやってください。」
のメッセージが込められており、読者の教養を試す、なんとも挑発的な文学となっています。
上記の挑発に見事に応えたのが"黒澤明"ですが、それはまた別項にて~。