人間とはまあまあいい加減に出来た生き物だと視力検査をして思った。#なりたい自分
しまった。どうしても『パワハラっていわないで!』の最終回がうまく書けないうちに2週間も経ってしまった。(すみませんがもう少々お待ちください)どうしても最後に言いたいことが詰まり過ぎて、到底全5回じゃ言い切れないことがある。しかし、あまり深く言及しすぎると会社に見つかるかもしれないし。
悩み、MacBookを睨み、書いて寝る。
そんなことしてたら、こないだの会社の健康診断で
「視力落ちてますねぇ」と言われた。
「ありゃ、そうですか」
「今日は調子悪かったんですかねぇ」
「ちょっと目乾いてる感じしてて〜」
考えてみりゃ、デスクワークとnoteの更新やってりゃほぼ12時間近く液晶画面見てるわけだし、目も乾くわピント合わせんの辛いわでどんどん過酷な環境を強いてるわけだよ、俺の眼球に対して。
なんで、その場では「今日調子が悪い」ってことで収めたのだが、流石にまずい。ただでさえ視力が落ちるところまで落ち、今牛乳瓶の底みたいな分厚さのメガネをかけている俺なのにこれ以上悪くなるこたぁないだろ。一刻も早くこの流れに争わなきゃ。
ということで、予定が珍しく詰まった6月の中で唯一フリーな週末である今週、私はいそいそと家事を片付けて眼科へ向かった。初診で飛び込みの医者だったので1〜2時間は待つことを覚悟してみたが、いざ受付したらものの10分ぐらいで呼ばれた。ラッキー。
「なんか最近メガネの度があってるか心配で」
「では眼球の状態と視力測定していきますね〜」
看護師さんは手慣れた様子で、「遠くに家が見えるヤーツ(昔は確か気球とかだったはず)」と「穴からプシュッて空気が出るヤーツ」で目の状態を流れるように検査した。その後、お馴染みの「輪っかの切れ目がどっちの方向に切れてるか言うヤーツ」をやった。
以上3つは、ハライチ風にお送りしました。
んなこたどうでもいいのよ。
「あーこりゃ今のメガネ確かに度合ってませんねぇ」と言われるとてっきり思っていた私は、看護師さんの意外な次の言葉に拍子抜けすることとなる。
「目めっちゃ見えてますね」
「へ?」
いや。いやいやいや。俺は以前より圧倒的に見えてないであろう「てい」で来てるのよこの病院に。そうでなきゃ眼科なんて数年ぶりに来ないってば。ところがどっこい、俺の目は衰えるどころか遥か遠くのランドルト環の空いている方向をバチクソ正確に捉えていたらしい。
「どういうことなんですかねぇ」
健康診断では悪かったのに、病院では調子がいい。この矛盾が生じるメカニズムを理解していない僕に看護師さんはこう優しく説明してくれた。
「要するにこのメガネは、遠くを見ることに特化したメガネなんです。なので遠くのものは見やすくても、パソコンとかスマホを見るには度がキツすぎるんですよ。お仕事はデスクワークが多いですか?」
「デスクワーク9割ですね」
「じゃあそれが原因だと思いますね」
原因は分かったけど、じゃあ健康診断の結果よ結果。
それはどう説明すんだい。
「健康診断で結果悪かったんですけど・・・」
「あ、健康診断の数値は若干甘めに出ることが多いんですよ」
・・・なんだよオイ。健康診断ってまあまあ粗いんだな。
っていうか、そもそも人間自体が案外
繊細な生き物ではないのかもしれない。
思えば、なかなか人間は大雑把なバランスで出来ていると感じることがある。初めてコンタクトを作った時だって、最初は入れにくくて違和感が絶対できるから少し度を落として作成しても「問題はないですよ」って言われてたし、あらかた誤差には対応できるぐらいのバランス感覚で人間は成り立ってるんでしょうね。
触診でも聴力検査でも「お若いので大丈夫ですねぇ」なんて流れ作業ですっ飛ばされてたし、採血はしないし、胃カメラなんて飲んだりしない。僕が若い頃思い描いていた「人間ドッグ」とはおおよそ違う感じの、至って学生時代とほぼ変わらない「健康診断」しか、会社に入ってからもしなかった。
だから、そんな断片的なチェックしかできない健康診断一つで一喜一憂するのはもしかしたら甘いのかもね。(もちろん結果は厳粛に受け止める、が)
っていうより逆を言えば、一つの結果だけに固執して心配するより、ちゃんとプロの目で診察してもらった方がよっぽど安心感が得られるし、そのために意見を聞く努力とか姿勢を取ることを惜しまないこと?って、案外大事だろうなぁって感じとりました。
今の誰でも簡単に嫌なことを言えてしまう時代だからこそ、レンズの度を変えるかのように機敏にかちゃかちゃ目が入れ替えられて、悲しみや嫉妬に濁ったり、偏見に満ちた目で居ないようにいられたら、もっと人は生きやすいだろうなぁ。簡単じゃないけど。
よし、とりあえず新しいメガネを買います。
仕事用(近いところを見る用)のメガネを。
おしまい。
こちらの記事もおすすめ。↓