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昔よりも上手に活字や本が読めなくなってきた気がする。#社会人
年末ならではの忙しさに見舞われている。
半分寝ながらこれを書いてることをお許し頂きたい。
不思議なもので仕事というのは一つ片付いたら二つ舞い込んできて、二つ片付けたら三つ、というふうにいつまで経ってもなぜか量が減らないのだ。おかげですっかり終わりの見えない戦いを繰り広げている。今日も作りかけのPOPデザインやらHPの作成やらがあったにはあったが、際限なく残業をしてしまいそうだったので明日の自分にぶん投げて帰ってきた。
せめてもの、この疲れが晴れるような気分転換を少ししてから家を帰りたいので、乗り換え駅にある書店に毎日必ず足を運んで、面白そうな本を探してから帰るようにしている。
しかしなぜだか昔よりも
本を読むのに時間がかかるようになった。
昔から読書が大好きだった。小説だけじゃなく実用書やビジネス本、とても学生が手を出しそうにないマニアックな本までたくさん読んできた。学生の頃の溜まり場といえばもっぱら地元の大きな図書館で、いつも10冊以上、時には貸出上限ギリギリまで借りて自転車をフラフラさせながら帰ったものである。
ただそれだけ借りていてもいつも読んでいればスラスラ内容が入ってきて貸出期限を待たずに読めていた。その読書量のおかげでこうしてある程度文章力もついたし、話を理解する力も結構身に付いて、今の仕事に十分生きているとは思う。
けれども、今社会人になって、読みたい本を見つけて家に買って帰ってみても、なかなかすんなり理解ができなくなってきた。いまいち頭の中に話が入ってこない感じがいつもする。
なんというのか、じっと読んでるうちに頭が疲れてきてしまって、何ページか読み進めていったん手を止めてしまう。しょうがないので休みの日に一気に積読を読んでしまうとか、一度読んだ後でも頭で噛み砕けるまで何回も繰り返し読むような工夫をして、どうにか活字を楽しんでいる。
人が溢れて、モノが溢れたら、今度は「情報」が溢れる時代になった。「タイパ」や「コスパ」という文字がいつもネットメディアに踊り、より短い時間で多い情報を得ようとする人たちはYouTubeの長尺動画も見られず、TikTokなどの1分以内のショート動画へと偏っていく。
私の頭ももしかしたら、短く簡潔に伝わる情報に頭を毒されすぎて、長く理論的に話されてもいまいち読み解きにくくなっているのかもしれない。スマホも持たず、実家もネットを繋げてなかった、入る情報が限られていた時代の方がなんとなく自分の思考力もあったように感じる。
でもどうしても、それでもいいから
本は読み続けたいなぁと思うのである。
だって動画とかの目に見える分かりやすい情報だけじゃ、考える力が保てない。文字を見て自分なりに何かを考えながら、文脈や行間に思いを馳せる。そういうことを物書きの一人としてせめて続けていきたいというプライドを、ちょっと持っている。
今夜も少し晩酌をしながら、買ってきたエンタメ小説をダラダラと読んで、疲れのせいか早めに眠くなり、ベッドに入る。でも夜中までTikTokに見入って寝不足になるよりはマシかなと思いながら、なかなか本が読めない忙しい日々は続いていくのだった。
おしまい。
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