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そんなもん、5年も続けてるこのnote以外ないでしょ。 #挑戦してよかった

#挑戦してよかった


元々子供の頃から、飽きっぽくてすぐに違うものに興味が移っていくタイプだった。小学生の頃はトミカ・プラレールを買い集めていたのがいつの間にかレゴブロックに興味が移り、そのうちなぜかゲームとかではなく急に本を読むのに目覚める、なんていうコロコロ好きなものが変わっていくタイプだった。

熱しやすく冷めやすいタイプでもあった。
ど定番な話ではあるが、高校受験前に親に頼み込んで進研ゼミを申し込んだはいいものの、続いたのは2ヶ月ちょいであとは学校の宿題と同じようにテキストだけが山となって積み重なっていた。あの時母には申し訳ないことをしたと思う(中学生を誘惑するようなDMを度々送ってくる某ベ●ッセもどうかと思うが)。

それこそ今もそれは治ってない。

英語学習アプリのデュオリンゴを100日連続で続けたのが今年の夏前ぐらい。継続力がついたー!と思って今度はNHKのラジオ英会話を聞いて学習しようと思い、テキストを買い始めた。最初の1ヶ月間は真剣にやったが、そこからまるで続かず聞き逃し配信で追いかけてまとめて学習するようになり、ついにそれすら中断してしまった。

思えばデュオリンゴは連続更新しないとイヤというほどプッシュ通知を送ってくるしあの緑の謎の鳥が泣き喚くのでそんな姿も見たくないし強制的に習慣づいているのであって、多分あのしつこいリマインド機能がなかったら続いてないと思う。

そんな「続けること」が難しい自分だが、なんだかんだでnoteは5年も続けていられた。つい先日、noteから5周年記念のバッチが届いていてその時初めて「あれ?もう5年も経ったんだっけ?」とようやく思い返したぐらいには、何気無く続けてきた気がする。


思えば遠くへ来たものだ。

5年前。当時、ネットでちまちま小説をメインで書いていたが、もっと表現できることの幅を広げたくて当時使ってた「カクヨム」と並行して開設したのがこのnoteだった。カクヨムは小説メインでなかなかエッセイとかを上げても市民権がなかったので。

あの頃、大学の図書館で放課後にWindowsのノートPCを開いてちまちまnoteを書いていた私も、今や自分の稼ぐ金でしっかり毎月の家賃を払い、それなりに綺麗な部屋で何不自由なく生活を続けながらnoteを書けるようになった。たいした成長である。

正直この5年でnoteを通じて本当にたくさんのものを得た。いわゆる記事のネタ探しも兼ねて始めた映画鑑賞がいつの間にかガチで好きになっていたり、人生の糧になる表現や作品にいくつも出会ったり。そのおかげで自分の中で簡単には得られない感性とか新しい引き出しみたいなものが確実に増えたと個人的には思っている。

しかし何より私は
「とにかくなんでもいいから書き続ける力」
これをフォロワーの皆様から沢山頂いていたと思うのだ。


PV数が本当に少ない最初の頃から比較しても、今はスキの数もPV数も、ものすごく多くの反応をいただけるようになった。毎回毎回自信を持っていろんなことを書いているつもりではあるが、正直こんな拙い駄文を読んでいただいてありがたいなとばかり思う日々でもある。


Mr.Childrenの「祈り〜涙の軌道」が好きで
カラオケでもよく歌うし普段も聴いている。

迷ったら その胸の河口から
聞こえてくる流れに 耳を澄ませばいい
ざわめいた 煌めいた透き通る流れに 
笹舟のような祈りを浮かべればいい

作詞:桜井和寿

という歌詞が好きで。

どんなに個人的な感想でも、しょーもない日々の愚痴でも、そっと笹で作った船を川に流すようにネットに綴ってると、どこかで誰かが反応してくれて読んでくれて、何かレスポンスをくれる。目にみえるPV数も、スキも、目には見えない応援の気持ちも(自分の中の想像に過ぎないが)ちゃんと伝わってくるのがnoteの良いところだと私は思っている。

ストレス・人間関係・すぐに失敗が糾弾される世の中。

簡単に本当の気持ちを言葉にできないセンシティブな時代に、こうやって内面を文字にして誰かに伝えることを許容してくれる場所があることが、私にとっては大きな心の救いになっているし、また、人生の道標になっていると断言しておく。

継続は力なり、を地で行くnoteでありたい。
何年かかっても一人前のクリエイターになれたらもっといい。
そんな気持ちをそっと、今日も笹舟のように川へ流してく。



おしまい。



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