ヨルシカのアルジャーノンについて考えたこと

ヨルシカの楽曲『アルジャーノン』の、主に歌詞についての考察です。
ヨルシカの他の楽曲や『アルジャーノンに花束を』への言及があります。

「頭の真ん中に育っていく大きな木」は、
ツリー状に枝分かれした未来の可能性、迷路だと思えます。
ゆっくりと歩いていく「根本」は現在や過去の事で、
「長い迷路の先」つまり未来を恐れない為に、現在や過去をしっかりと踏まえるのかなと。

未は木の上の枝葉、末は木の先端、本は木の根が字の成り立ちらしいです。
「長い迷路」=大きな木
「長い迷路の先」=未来、行く末 とすると、
未来や行く末(木の先)を恐れないように、本日(木の根)を歩くと取れます。


先=咲き で、
長い迷路の先では木が咲く気がしました。
『アルジャーノンに花束を』の花束は、墓に供える花です。
歩いてきたツリー構造の迷路、人生という木それ自体に咲く花が、
長い迷路の先(人生の終わり)へ贈る花束になるのかなと。
MVの迷路にも、花が咲いていますし。

「あの木の真ん中に育っていく木陰のように」は
木が生長するにつれ木陰が大きくなるように、
人が成長するにつれ過去(思い出)が増えるって事かなと。
歳を取ると、未来が減る代わりに過去が増えます。
長い迷路の先(人生の終わり)を恐れずにいられるのは、今までの思い出があるからかなと。

「真ん中に育っていく木陰」は、
『春泥棒』の「ただ葉が残るだけ」の桜にも取れます。
命を桜の木に喩えるのなら、
木陰は命の陰、もう居ない人の思い出と取れる気がしました。


「僕のまなこはまた夢を見ていた 裸足のままで」は、
まなこ=愛子まなこ=愛しい我が子 と取れます。
MVに赤ん坊が出て来ますし。
「貴方はどうして僕に心をくれたんでしょう」は、親が子に向けた言葉でもある気がします。
僕(親)が貴方(子)に名前や心を渡したようでいて、
もらったのは、僕(親)のほうでもあるのかなと。


光速を超えると過去へ行くらしいです。
「ゆっくりと走っていく」は超光速で走って、走馬燈のようにゆっくり過去(手術前のチャーリイ)へ向かってる、と取れる気がしました。
『アルジャーノンに花束を』のチャーリイは、急速な進化の代償で退化していきます。
急な進化(=光速)で、退化する(=過去へ行く)と。
アルジャーノンMVの逆再生の演出は、過去へ戻っていったと取れます。
MVの馬から、走馬燈を連想しました。


前世2023ロゴのシカの角は、木にも見えます。
「ゆっくりと眠っていく〜頭の真ん中に育っていく大きな木」 はシカの角でもあるかなと。
ヨルシカの由来「夜しかもう眠れずに」と、「眠る」というワードが同じですし。
「ゆっくりと眠っていく」は、
賢くなったチャーリイが言語能力を失っていく事
人の外側の脳が眠り、動物的な内側の脳が残る事(シカの角が生える事)
でもある気がします。

「休」という漢字の由来「人が木によりかかる」に繋がりを感じました。
「育っていく木陰のように」は、『雲と幽霊』の「木陰のバス停」で休んだ想い出が育っていくのかなと。



「少しずつ膨らむパン」はクロワッサン(フランス語で三日月)とも取れそうです。
対の歌詞「少しずつ崩れる塔」はMVで逆向きの三日月(欠ける時の月)が映りますし。
三日月は生まれたばかりの時、逆の三日月は終わりつつある時で、満ち欠けを生まれ変わりに喩えてる気がしました。

7月の満月を雄鹿月(バックムーン)と言います。エルマの日記81ページにも雄鹿が出てきます。
「頭の真ん中に育っていく大きな木」は鹿の角、月のメタファーになってるのかなと。
「あの木の真ん中に育っていく木陰」=月の陰の部分
迷路の先=滅入る先
新月の先の光(来世)へゆっくりと走っていく気がしました。



『アルジャーノンに花束を』と関連付けて考えます。
木の根本=裏庭のアルジャーノンの墓 で、
「僕らはゆっくりと眠っていく」は永眠と取れます。

貴方=研究者、手術後の賢いチャーリイ
「長い迷路の先を恐れない」=研究結果を恐れない
貴方(チャーリイ)は自分の知能が低下すると判明する事も恐れずに研究した
って事かなと。
チャーリイは獲得した言語能力を失うので、
「崩れる塔」=バベルの塔の崩壊 と思えます。
頭に育っていく木=アダムとイブの知恵の木 とすると、
育っていく木陰=人が知恵を得る為の犠牲になったモルモット達の墓
幻燈=実験に使われた命を火葬する炎 で、
アルジャーノンに花束を=実験に使われた命たちの墓に供える花
だと思いました。

「空より大きく」「海より大きく」から、巨人の肩の上に立つという言葉を連想しました。(先人の積み重ねた発見の上に新しい発見をする、という意味の言葉です)
『アルジャーノンに花束を』にプラトンの洞窟の話が出て来ます。
幻燈とは、洞窟の影を作る火でもあるのかなと。
育っていく木陰=長い迷路 で、
洞窟の影だけを頼りに真実を探す事が「長い迷路」なのかなと思いました。

アルジャーノンに花束を供えるのは、人間がアルジャーノンから自由や生活を奪ったことへの罪滅ぼしの気持ちもあると思うので、
『強盗と花束』の「強盗と花束に何かの違いがあるのですか」に繋がる気がします。



「迷いながら」の中に、まよなか(真夜中)があります。
「確かに迷いながら」=確かに真夜居ながら、
何も見えない夜でも確かに自己は存在してるって意味にも感じました。
夜確かに居た=「ヨル」た「シカ」に居た でヨルシカとか。

「ゆっくりと眠っていく とても長く」が 長い眠り=永い眠り(永眠) なら、
「長い迷路の先」は永い眠りの先、生まれ変わった来世な気がします。
迷路は冥路めいろ、つまり冥途の道と思えます。



アルジャーノンの「木陰」は、頭の中の陰の部分、忘れてしまった場所の事でもある気がします。
眠りの中で歩いていく、頭の真ん中の「木の根本」を木陰(小さな夜)とすると、「夜しかもう眠れずに」に繋がると思いました。

画集のアルジャーノン絵の背景は黒ですが、人物の目の先は少し明るいです。
光の方へ、ゆっくりと走っていくのかなと。


「艮」にはとどまる(≒根を張る)の意があり、眼は目の根と取れます。
「眠っていく~大きな木の根本をゆっくりと歩いていく」は眠って眼の奥を歩く、 貴方が僕に描いた目の中を探索するのかなと。
エイミーがエルマの中に見た月明かりを、エルマ自身が探す事に似てると思いました。
心に穴が空いた「森で眠るように~深く夜を纏った目の奥に月明かりを見るまで」にも繋がります。森と木ですし。
「貴方はどうして僕に名前をくれたんでしょう」は、エイミーがエルマという名前をくれた事に重なるのかなと。



「膨らむパン」=満ちる月
「崩れる塔」 =欠ける月 とも思います。
MVの「崩れる塔を眺める」で、三日月が映ります。
チャーリイの脳の変動を、月の満ち欠けに喩えてるのかなとか。

崩=山月月 で山月記を連想しました。
塔がバベルの塔なら、『山月記』も『アルジャーノンに花束を』も言葉を失う話なので、繋がります。
李徴が虎になる≒チャーリイの言語能力が低下する という。
虎はネコ科で、月と猫のダンスと思えますし。


「眠っていく~大きな木の根本をゆっくりと歩いていく」は、本(夢)の世界を歩いてるとも取れます。
「本」という漢字の由来は、木の根元なので。

チノカテ「全部を読み終わったあとはどうか目を開けてこの本を捨てよう」に繋がりそうです。
チノカテの「ずっと叶えたかった夢」が、木の根のように貴方を縛っていたのかなと。
夢や無意識は、人の根本と思えますし。

チノカテの「今じゃ文字の中」=本の中=根の中(地の文の中) で、
「本当は僕らの心は頭にあった」のに、
今じゃ心は足を地に縛るものになってしまったのかなと。
「本を捨てよう」で根を捨て、動けるようになった気がしました。

チノカテ=知の過程 とすると、『アルジャーノンに花束を』の物語に似ています。
優しすぎて枯れた花 =手術前の優しかったチャーリイ
貴方の欲しがった自分=手術後の賢くなったチャーリイ と思いました。
「貴方の欲しがった自分を捨ててしまった」は、チャーリイが賢さを捨てて優しくなれた、って事かなと。



テレパスMVとアルジャーノンの歌詞は、似たモチーフが多いです。
テレパスを『アルジャーノンに花束を』に繋げると、
テレパスの「言わなくたっていいの」は、手術前のチャーリイみたいに、難しい言葉を知らずとも優しくあれる、って事かなと。
「僕だけ違うんだ」は、手術前も後も極端なIQの、チャーリイの事に思いました。
アルジャーノンの「目を描いた」「手を作った」はテレパスMVにほぼ同じ描写があります。
テレパスMVで体の中心に「あ」を入れる事=「心をくれた」「名前をくれた」(アルジャーノン) なのかなと思いました。


以上です。
お読みいただきありがとうございました。