- 運営しているクリエイター
2015年5月の記事一覧
我々に必要なのは対極と対極の間の運動。
もし、ある目標へ向かって、どうしてもたどり着けない時は、こう考える。
その目標と対極にあるものは何か?
そして、逆方向にその対極へ向かってみること。
そして、その対極を通じて、もう一度目標に向かうこと。
そこに道があるかもしれない。
だって我々に必要なのは、そこにたどり着くことよりも寧ろ、
対極と対極の間の運動なのかもしれないのだから。
プログラミングと言語ゲーム
プログラミングというものは、必然的にヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を含んでいる。
なぜなら、プログラミングにおいて変数や関数は、それが名前の付けられた時点では、何ら機能を持っていないからだ。
それは、それらが使われること、使われるルールの中で、定義付られる。
変数はデジット上のパターンであり、このアドレスの値を、その後、どのように使うかで、意味づけられる。たとえば、色を指定する変数 _
プログラミングと言語ゲーム
プログラミングというものは、必然的にヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を含んでいる。
なぜなら、プログラミングにおいて変数や関数は、それが名前の付けられた時点では、何ら機能を持っていないからだ。
それは、それらが使われること、使われるルールの中で、
定義付られる。
変数はデジット上のパターンであり、このアドレスの値を、その後、どのように使うかで、意味づけられる。たとえば、色を指定する変数
自らを世界に放ち、自らを取り戻す
行動とは世界の流れに全身を以て調和することである。一つになり自分の意志と世界の流れを混ぜ合わせ、一つの方向へ導くことである。
自分自身へ戻る、自分を得る、ということは、
世界から断絶し、逃避し、遮断し、自分が自分であることを、
獲得することである。
そして、人間はそこからもう一度、世界へ向かって戻って行くのである。
世界を志向し、溶け合おうと行動するのである。
この自らを世界に放ち、そ
時間軸をあわせて、コンテンツを。
エンターテイメントは変化した。かつて人がコンテンツと接する時間は、仕事や学校から帰ってテレビを見たり雑誌を見たり、マンガを読んだりゲームをする時間だった。休日にイベントか映画、コンサートに行く。
しかし、2006年以降は、誰しもべったりと、インターネットを通じて、携帯からコンテンツに接する時代になった。
だから、以前の「その時間だけ楽しめるコンテンツ」から、「一緒にこの時代を生きてくれるコンテ
何度も、同じ記憶を、思い出す。
何度も同じ夢を見る。夢ではない。目覚めながら、思い出す夢。
それはドイツの森、深く。
僕は馬車で旅路を急いでいる。しかし、どうしても夜が更けて、
深い森の中の小さな町に宿泊する。
そこには、三軒の綺麗なホテルが大通りに面していて、
街といっても、大通りがひとつと、それに面したホテルとレストランと民家しかない。
とにかく三軒のホテルは青、ピンク、オレンジ色の外壁をしていて、
仲良く三軒