休むことに罪悪感がある
何となく、休んではいけない気がする
休んでると、何となく後ろめたい気分になる
けど、何で、そんな気分になるのか、分からない…
そんな時って、ありませんか?
他の人に相談しても
“休みたいのに、休めない。なんてあるの?”と聞かれたりして
自分だけが、そんな心理になるのかなぁ…と悩んでいました。
この時の私は、
『罪悪感』という感情と思考が『自分』と完全に一体化してて
“罪悪感に苛まれている状態になっている”というコトが
客観的に、理解出来ていませんでした。
それだけ長い間、『私』は『罪悪感』と共に生き、
自分の本心より、両親や社会の常識に従い、苦しんできたということです。
こういうケースを「環境の犠牲者」と呼ぶそうです。
そもそも、『罪悪感』とは何なのか?
ここから、罪悪感の心理の解説になります。
※これからの内容は、心身の不調がある方には、苦しい、
あるいは、抑えていた記憶が蘇ることがあるかもしれません。
そんな時は、すぐに読むのを中止して、休んでくださいね。
『【罪悪感の正体】どうすれば解放されるのか』↓
罪悪感のそもそもの原因は何なのか?から始まり、
罪悪感とは“社会の固定観念”という“その時代の常識という鎖”であり
“○○でなければいけないという規範意識”、
日本の社会であれば、“同調圧力”や空気をよむ”であったり
男性なら経済力や働くコトを重要視され、
女性なら結婚して、子どもを産むコトを強要される、であったり…
そんな環境の中で、生き続ける内に、溜まってしまった
自分の傷ついた感情のしこり(塊)であるコト。
この時、過去の不安・恐怖が思い出され、
思考がぐるぐる回るという状態になるコトがあります。
それは、今まで自分の感情より、周りの期待にそって生きてきたので、
抑圧されてきた感情、従わないとならない恐怖(あるいは怒り)、
命令に逆らうのか?という不安が、湧き上がってきてしまうからです。
罪悪感を植え付けられ、コントロールされていたのなら、尚更です。
私の場合は、そんな時、“リラックス誘導音声”を聞くコトをしています。
『不安/パニック障害/ストレスを落ち着ける誘導音声』↓
※怒りの対処法はこれでは収まらないのでこちらの動画が参考になります。
『怒りの正体は抑圧された悲しみです。イライラの本当の解放とは?』↓
※それでも、イライラが収まらない人はコチラの音声を聞いてみて下さい。
『心が落ち着かない時【Voice】 Rev16 ヒプノセラピー 催眠療法』↓
そして、最終的には、そんな罪悪感を抱えた自分をゆるし
良い暗示(アファメーション)を唱え続け、
いつしか罪悪感と共存できるコトであると解説してました。
しかし、これは、けっこう感情の抵抗が起きるコトになります。
長い間、慣れ親しんだ思考回路は、どうしても同じ思考を好む傾向にあり、
そもそも感情と向き合えない…という人もいると思います。
人間の心理は、“その感情が確かに、私の中に、ある。”と
意識するコトで、はじめて変化を起こせます。
なので、気付けない、あるいは、否認(そんな感情あるワケないと認めない)
その心理状態では、意識しようがないのです。
※罪悪感を本当にもっていないというコトもあるかもしれませんし、
感情と向き合えない状態や、意識できないのは、
様々な事情があって、できない人もいると私は考えています。なので
あくまで“罪悪感をその人がもっている”コトを前提に話を進めます。
この否認の心理状態も、その人が自分を守る上で必要な状態なのでしょう。
それだけ感情を抑圧し、自分自身を否定し、
ひたすら他人の為に、生き続けてきた。
そうでなければ、今にも、折れてしまいそうだから…
そんな健気な人だから、なのではないでしょうか。
ここからは、罪悪感と向き合ってきた私なりの解釈になってきますが…
『罪悪感』を悪用し、意識的にしろ、無意識にしろ、
相手をコントロールするコトに使ってしまう人もいますが、
罪悪感に苛まれやすい人もいれば、そうでない人もいます。
この違いは、どこからくるのか、いつも不思議に思っていました。
この違いをただ、強いとか弱いとかそういう精神論だけではない
何かを感じていました。
※思考に対して“感じる”はおかしいと言われますが、
私の場合は、感覚が過敏に反応する人なので、
感情に対して、
怒りで頭に血がのぼる、悲しみで胸が締め付けられるなど
そういう感覚として捉えているコトが多いのです。
そして、罪悪感を抱えてまでも、相手の意志に従う人は、
相手の寂しさ、悲しさを知っている人が多いように思うのです。
(もちろん、理解した上で、あえて従うフリをして、
逆にコントロールしてやろうと考えてる人もいますが…)
だからこそ、寂しさ・悲しさを上手く受け止められず
怒りや恨みのままに、振る舞う相手を哀れに思い
“貴方の気が済むのなら…”と付き従ってしまうのかもしれないと
そして、それは、従う自分も、また、同じなのだと知っているから。
たとえ、それが、良い結果を生まないと分かっていても。
それほどまでに、その人もまた、孤独なのでしょう。
どんなに人に囲まれていても、
本当の気持ちに気付いてもらえないのなら
人は孤独だと思うものです。
ですから、同じ孤独を抱くもの同士、
結びつきが強くなってしまうのではないかと思うのです。
それが嫌で、人との関わりを絶ってしまう人も多いですが
“独りぼっちになってしまう怖さに比べたら…”と、
べったりした関係になる人もいます。
それが、共依存となって、お互いを、縛り合うのかもしれません。
離れたいのに離れられない…変わりたいのに変われない…
“この孤独を知る人は、貴方しかいないから”と、しがみつく。
それを知るとまた、せつなく、
離れがたくなってしまうのではないでしょうか。
もしかしたら、『罪悪感』とは、
貴方が、今まで、どれだけ、他者を助け、献身してきたのか、
そして、どれだけ、その人を助けたい、と思い
苦しみから解放されて、幸せになってほしいと願っていたのか…
その『想いの証』なのかもしれません。
それは、貴方の限りない優しさや愛情、そのものであるように思うのです。
それならば、否定するのではなく、
献身してきた苦労を、自分だけは理解して、
自分自身に労りと優しさの言葉をかけるコト。
そして、自分の欠点のせいだと、責めているのであれば
過失や失敗を含め、人間であれば、誰でも通る道だと
失敗からは、必ず、新しい発見があるから、
その発見を糧に、何度でも、また、やり直せばいいのだと
時間がかかるコトではありますし、できないコトかもしれませんが
そう、自分に伝え続け、自分の内面に寄り添い続けるコト。
それでこそ、その苦労も、報われるのではないでしょうか。
貴方は、懸命に頑張りました。
どうか、心安らかに、休める日が来るコトを、祈っています。