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数字に惑わされない考え方

数字に惑わされる日々

※この記事は加筆・修正したものになります※
最近、noteの記事をよく書くようになったんですが、
やはりハートの数が気になるようになって
モチベーション低下に繋がっています。

体調不良の中、漫画もプロット・ネーム・下書き・カラー・文字入力含め
全て、自分でやっているので、やっぱり時間がかかってしまいます。

この数字に惑わされていく思考が、学生の頃、
テストの点数や、先生からの評価に悩んでいた頃に
似ているな…と思ったんですね。

ふっと、考えた時に、私自身、
数字=他者からの評価=自分の努力への評価
だと
捉えていたな…と思うんです。

数字が取れなければ、努力不足だと責められているように感じるし
数字が上がれば、努力が認められたように感じてたんですね。

しかし、数字=他者からの評価だとすれば、
私自身がコントロールするコトは出来ないものになります。

そして、自分の努力への評価は、他者が下すものだと捉えている限り
いつまでも、その評価基準の中で、したくもない努力を強いられ、
一喜一憂するコトになってしまいます。

そして学業だけではなく、数字という価値は、SNSやメディアでも、
“数字(あるいはお金)を多く獲得したものは、素晴らしい成功者だ!”
祭り上げいく傾向がありますから、気になるのも当然です。

ですが“数字=影響力=広告収入を得られる”という
別の側面もあり、仕組みを提供する企業や組織は、
数字を追いかけていくコトを、快感になるように加速させていく
そんな傾向もあります。

だからこそ、否応なしに、この数字による競争に巻き込まれるコトになり、
結果、数字を取る以外に方法はない!とばかりに、私自身も含め、
必死になっていくのではないでしょうか。

数字でしか評価されない苦しさ

数字でしか評価されないシステムは、苦しいものです。
それは、『私』という個人が、『数字』という評価に変わり、
いつも『私』の行いを、その『数字』が良い・悪いを決め、
裁き、監視してくるようなものです。

しかし、それでもなお、テストの点数や、他人の評価・数値で
仕事が決まってしまう場合はどうすればいいのか?という課題もあります。

数字・評価を、今は優先するしかない時も出てくるでしょうし、
組織の方針で、個人の力量ではどうにもならない時もあります。

色んな人にアドバイスしてもらい、数字や評価を得るために、
改善するしかない場合もあるとは思います。

ワーキングプア、格差や貧困のある時代です。
生計を立てるのに必死になるのも、無理もありません。

その努力が苦しくないのであれば、問題ないのでしょう。

それでも、一度、立ち止まり、自分に問いかけてほしい部分もあります。

貴方が、もし、苦しんでいるのなら、心は悲鳴を上げているからです。

他人ではなく、自分で判断しないと守れないものも、あるからです。

貴方は、本当にどんな苦労をしてでも、その数字を得たいのか?

そもそも何を目的として、その数字がほしかったのか?

他人の期待通りのキャリアを、築きたいと言えるか?

相手の期待と、自分の期待は、ズレていないか?

貴方の心と体は、疲れてないか?眠れているか?

貴方の心は虚しくないか?満たされているのか?

そして、今、本当に、幸せなのか?

そんな自問自答くり返し、自分なりに判断するしかないのかもしれません。

それでも「誰かや、何かの『何者か』になりたいから、数字や評価がほしい」という人もいるとは思いますが、それが、自分のやりたいコトや
本当にほしいものと、ズレていれば、虚しいでしょう。

「数字や評価、イイネをくれない人なら、意味ない。」とばかりに
相手に切り捨てられる恐れもあります。

たった一度しかない貴方の人生を、そんな不安定なものに、
丸投げしていいものなのか?と疑問に思うのです。

数字や他者の奴隷にならない、何の為に生きるのか?

自分自身の舵は、自分で取るというのも大事だと思っています。

数字ではなく、1人の人間としてみる

ビジネスの視点だけで、自分のライフワークを限定しない、
そんな視点も、必要なのではないでしょうか。

私個人の話でいえば、届けたい想いが、きちんと届けたい人に
伝わったのなら、私の目的は果たされます。

そして、1という数字を、AIでもなく
一生懸命、現在を生きている1人の人間である
という
視点をもつと意味が変わっていきます。

たとえば、冒頭で私が気にしていたハートの数もそうです。
この広いネット空間にしてみれば、とても儚いものかもしれません。

ですが、その1人1人が感じ、思考する、
その時間は、まぎれもなく、本物です。

どんなに少ない数字であっても、私の励みになってますし
ありがとう”を受け取る、貴重なものだと思っています。

私の目的は、バズって有名になるコトではなく、
この記事や漫画、作品を通じて、1人1人に何らかの
感情・考えを伝えるコトだからでしょう。

その考えが、人々や社会に伝わり、
少数派が市民権を獲得できるようになれば、
多様な価値観・主義・主張が存在する社会になっていくと思うからです。

ですから、多様な価値観を自由な感性で、
発信を続ける場が失われてほしくないとも思っていますし、

数でしか評価しない、そんな社会の風潮に抗っている面もあります。

数字以上に価値や意味のあるもの

多数派になれないから自分がおかしい、のではない。

有名人が言うから、社会の常識だから従う、のでもない。

他人と違う人生だから自分の生き方を正さないといけない、ワケでもない。

正解』は1つじゃない、そして人生に『正解』はない。

だから、やり直してもいいし、選択を変えてもいい。

『正解』がないのですから、『失敗』も『間違い』もない。

もし、あるとするならば、貴方が何を『正解』だとするかです。

それは、他者に決めてもらうコトではない、

貴方自身が決めて、OKを出せればいいのです。

そして、生きているだけでは満たされないのは、

それぞれの人の中で“自分らしく生きたい”という欲求、

自分という人間は、何に喜び、何に悲しむ存在なのか。

生きる原動力として備わっているからではないかと思うのです。

試行錯誤して、トライ・アンド・エラーを繰り返し、

やっと、自分らしさの基準を、自分の中で見出せる。

それは、数字では計れない、貴方の心の羅針盤です。

数字から解放されて自由に生きる

“自分らしさが何だ、そんなモノにどんな意味がある。”

そう、考える人がいるかもしれませんが、

“自分らしい生き方を、自分で掴まない人生は、

他人の評価基準に振り回され続ける人生”という意味です。

それで、どうして、自分の幸せや成功を自分で掴めるというのでしょう。

誰かが代わりに生きて、満たしてくれるとでもいうのでしょうか。

けれど、他人は他人の為に生きているのであって、利害も利権も絡みます。

それに、本当に、貴方を大切に想ってくれる人であれば、

貴方の幸せを願わないはずがありません。

そして、貴方も、相手を本当に愛しているのであれば、

自分の為に苦しんでほしい、などとは思わないはずです。

その人の自分らしさを否定する人や無理強いする人など

貴方を利用しようとする人かもしれない。

貴方自身が“これが自分の幸せだ”と掴みにいかないと、

奪われてしまうかもしれない、不確かなもの。

だからこそ、自分で自分の幸せを守れる人生であってほしいと思います。

相手に何かを届けたい、相手の為に何が出来るかは、

その後に、考えても遅くないと思います。

自分にとっての人生の価値は何なのか?

自分の幸せとはどんなもので、何を大切に生きたいのか?

経済的な成功だけでは味わえない、心の充足感を与えてくれる

そんな何かに、貴方が出会えるコトを、願っています。

“頭を上げるんだよ。最高なことは、いつも、君の前にあるんだから”
ーGryffin - Best Is Yet To ComeのPVの写真裏の文章から抜粋ー

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