自分と向き合う (vol 197)
仁者如射 射者正己而後發
發而不中 不怨勝己者 反求諸己而已矣
仁者は射の如し。射る者は己を正しくして後に発つ。発ちて中らざるも、己に勝てる者を怨みず、諸(これ)を己に反求するのみ。
学生時代に弓道をやっていました。リーグ戦はチーム戦ですが、1本の矢を射るときはあくまで自分との戦い。そこで求められるのは「反求」の姿勢。
ー 行有不得者、皆反求諸己 ー
こちらの方が一般的には良く知られているかもしれません。
どちらも、中国、孟子の時代の言葉です。
行動の結果が芳しくないとき、その原因を他の人や外部環境に求めるのではなく、自分自身にあると反省して、自らの改善を目指すこと。
自分の中に答えを見出すことの大切さは、今も変わりません。
瞑想、マインドフルネス。心を落ち着かせることが注目されていますが、心を整える目的は、自分との対峙、自己の改善。
組織の中では、チームのパフォーマンスという結果に対して、自分がどのように関わったかを自問し、チームの発展に対する自分の言動を確認すること。
ところが、実際の現場では、「どっちが正しい?」の議論や口論。
マネジャーになっても、自分の正しさを主張し合って、まずい結果が出たら責任の所在を言い争って、なかなか自分ごととしての振り返りに繋がりません。
自分の非を認めたら負け、と言わんばかりに「自分以外」にこだわります。
競争相手や外部環境、チームメイトを理由にするのではなく、自分はどうだっただろうを考える習慣が次につながります。
ゴール・目的に対して、自分自身の言動は合致・フィットしていた?
自分の未熟だったところ、もっと良い取り組み方はなかった?
自らを省みる姿勢、反求は、学習する姿勢そのものです。
Mindfulness, meditation, Zen. All are actions that face oneself.
Even in our work, we are required to confront ourselves.
When seeking behavioral change, growth, or approval from others, it is more important whether we are "fit" to achieve the goals than whether we are "right" ourselves.
"Does my/our own behavior and state of being fit the way I/we want to produce the desired results?”
It is often important to confront the changes that are needed in ourselves, not the challenges of the other person.
Why don't we take the time to face ourselves, looking back on our own actions, and not getting caught up in the other person?
マインドフルネス、瞑想、禅。どれも自分と向き合う行動です。
私たちの仕事の中でも、自分と向き合う事が求められます。
相手の行動変化、成長、承認を求めるとき、私たち自身の「正しさ」よりも、目的の達成に「フィット」しているかどうかがより重要です。
「今の私/私たちの自身の行動や状態は、願い通りの結果を生み出すやり方としてフィットしているだろうか」
多くの場合、相手の課題でなく自分に必要な変化に向き合うことが大切です。
相手にとらわれず、自分の行動を振り返る、
自分と向き合う時間をとってみませんか?
社会人なりたての頃、京都の南禅寺(だったと思う😅)で、座禅体験をさせて頂いたことがあります。もう40年程前のことです。
この時は、悩みがあったわけでもなく、残念ながら、自分と向き合うには至らなかったことだけを記憶しています。お恥ずかしい😅😅😅。。。
今もう一度、座禅したら、異なる感覚、自分との対峙ができることに期待。
この時期でも体験座禅ってやってるかな~?
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。