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歩くパンセ

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歩く人の思索です
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#試論

この地球の「奥の細道」を辿るようにして、歩くことについて語る

歩くことは誰にでも出来る易しい行為だが、歩くことについて語ることとなると、歩くことほど容易ではない。 「歩く」とはなんだろう。 歩くことは、人間が誕生した瞬間から、人間と共にある行為だ。 直立二足歩行によって人間と他の生物を区別するならば、人間とはすなわち二本の足で「歩く」動物ということになる。 アフリカで誕生したとされる人類の祖先は、主に大陸を歩いて移動して世界各地に広がった。歩くことは、いつも彼らの生活のすぐ横にあった。 世界の全ての地域で、ほぼ全ての人が、何百万年

ただ歩くために歩く、という贅沢な時間

それは穏やかな日差しではなかった。 11月も数日で終わりを迎えるというのに、夏のギラつきを残したような大きな太陽が照りつける一日だった。            ――『湘南を歩く人語録』(民明書房刊)より抜粋 第4回「湘南を歩く人」、3名の素敵な参加者に恵まれて無事に開催することができました。 今日は本当に暖かい一日でした。秋の終わりをただひとり感じさせる涼しい風が身近にいなければ、半袖でも過ごせるくらいだったかもしれません。 いつもの鎌倉~江ノ島コース。 湘南の散歩屋さん

今の僕たちは使い方を知らない子供が機関銃を手にしているようなものだ

昨日、やや遠方に住んでいる長い付き合いの親友を久しぶりに訪ねた。 彼と出会ったのは、もう17年くらい前になる。僕が仙台で大学院生をしていた頃、就職活動のために都内の学生グループに参加して、情報交換や普段会えない政治家やビジネスマンと交流する機会を頂いていたのだけれども、彼もそのチームに参加していたのだった。 仙台から高速バスで遠路はるばるやってくる僕を毎回アパートに泊めてくれて、レンタルしてきた映画のDVDを垂れ流しながら(「ナビィの恋」とか「黄泉がえり」とか、普通の邦画

レイ・ブラッドベリが描いた「歩く人」の未来

「歩く」をテーマにした「道草の家の文章教室」で、案内人の下窪さんがレイ・ブラッドベリの「歩行者」という短編を紹介してくれた。 ハヤカワ文庫の『太陽の黄金の林檎』に収録されている小編で、2053年の未来を描いている。 主人公のレナード・ミードは、散歩を最大の楽しみにしている。静かな夜を何時間も、ただ歩くために歩くこと。 2053年の世界は、歩く人は他にひとりいない。10年以上も散歩を続けても、ミードが他に歩く人を見かけることは一度もない。 そんなミードに突然ヘッドライトの

人の言葉、社会の言葉~言葉を救うということ~

言葉が持つ意味には「人に属する意味」と「社会に属する意味」があると前々回の記事で書きました。 それを書いてみて始めて僕は言葉の意味が「人」と「社会」で大きく分離されていることに気が付きました。 それ以来、普段使われている言葉がどちらの領域に属しているのかを何となく意識して考えるようになりました。 そして、あれ?っと何か引っかかる言葉は、大体「社会に属する意味」を持っている言葉かもしれない?ということがぼんやりと見えてきました。 先日最新号が発売となった、プライベート出

僕は一生アマチュアでいようと思う~湘南の散歩屋さんはじめます~

  ――歩くことで、地球から叡智を授かるのです。                       サティシュ・クマール 10月から湘南散歩企画「湘南を歩く人」をスタートすることになりました。 まずは10月17日(土)の日中と、10月31日(土)の夕方~夜。 鎌倉~江ノ島までと、茅ヶ崎から江ノ島まで、およそ10kmの距離をゆっくり散歩します。 目的を持たず、歩くためだけに歩くことを体験していただけたらと思います。 詳細はFacebookで告知しています。 「湘南を歩く人~歩く

散歩写真は海の向こうへアウトプットしよう~写真がどんどん楽しくなる秘密の方法~

ただ歩くためだけに歩く、僕はそれだけで十分良いと思っているのだけれども、それだけじゃあちょっとつまらないと感じる人もいると思う。 僕はそういう人に、歩きながら写真を撮ることを勧めたい。 かくいう僕も「歩くためだけに・・・」とか言っておきながら、実は写真を撮りながら歩いていて、その写真を時々Tumblrに上げている。 カメラは何でもいい。 スマホのカメラで十分だし、出来ればコンパクトなカメラの方が良い。 一眼レフカメラは大きくて邪魔になるから、歩く意味でも金銭的な意味でも僕

もし散歩がオリンピック競技になったら

僕は散歩が好きで、暇を見つけてはぶらぶらとそこらへんを歩いている。 そんな僕の将来の夢は、ただ歩くこと、すなわち「散歩」を華々しいオリンピック競技にすることだ! と言っても過言ではない。たぶん。 散歩はオリンピック競技になるだろうか? どうすれば散歩をオリンピック競技に出来るだろうか? まず、競歩は論外だ。 競歩は歩く速さを競う競技だから、そもそも散歩ではない。 散歩とは、ただぶらぶら歩くこと、である。 散歩で歩く速さは問題にならないし、タイムも関係ない。速くゴールした順

歩く人の神様はいるのかな? ~なんで歩いていると色々閃くんだろうか?~

僕が唯一信頼していることは「歩くこと」と言っても良いくらい、歩くことへの絶対的信頼を持っている。 数々の紀行文で有名なイングランドの作家ブルース・チャトウィンが、処女作『パタゴニア』の中で、ペルシャ人に宗教は何かと聞かれて、こう答える。 「今朝はとくに宗教を持っていません。僕の神様は歩く人の神様なんです。たっぷりと歩いたら、たぶんほかの神様は必要ないでしょう」               (『パタゴニア』芹沢真理子訳 河出文庫) おそらくは実際に彼がそういう宗教観を持って

歩く人⑦

歩くには都合の良い道がそこにあった。 言ってみれば、それだけのことだったのかもしれない。 江戸時代頃には東海道と呼ばれた道。 今は国道1号線として綺麗に整備されているから、神奈川あたりなら道路は四車線で車通りも多いし、歩道も広くゆったりとしている。 昔と比べたらずっと歩きやすくなっているのだろうと思う反面、アスファルトの路面は硬く、足首や膝に掛かる負担は土の地面を歩くよりも大きい。 痛みを感じたら、無理はしないほうが良いと思う。普段歩きなれていない人は、その痛みが日常生活

僕たちは急ぎすぎているのかもしれない~歩く速度と生命の速度について~

ここ数ヶ月の疫病は、僕たちに何をもたらしたのか。 僕たちの何を変え、何に気づかせ、何を残していくのか。 僕はこのところずっと考え続けているし、誰もが嫌でも考えざるを得ないと思う。 この終わりの見えないトンネルからいつ抜けることが出来るのか。いつになったら顔を覆う暑苦しい布をゴミ箱に投げ捨てて、友人や恋人と思い切り笑いあうことが出来るのか。 まるで理想のようになってしまった、かつては当たり前だった日々を、いまや遅しと待ち焦がれても、それは簡単には戻ってこない。 僕たちがどれだ

歩くために、歩いてみよう

 目的を持って歩くことも良いけれども、目的なく歩くことはもっと良い。  目的のある歩行というのは、例えば買い物に行くためとか、駅に行くためとか、何か歩くこと以外の目的を達成するために歩くことがそうだ。東海道を踏破するとか、シルクロードを踏破するとか、世界を歩いて旅するとか、そういうのも目的のある歩行かもしれない。  目的のない歩行とは、ただブラブラ歩くこと。なんとなく家の周りを歩いたり、近所の川沿いを歩いたり。要するにただの散歩のことで、散歩には、散歩すること以外の目的は

僕は歩く人になろうと思う~歩行の速度、身体の速度、そして現代の速度~

 人類の起源がいったい何百万年前まで遡るのか、その正確な時間を知ることは出来ないけれども、その起源の地とされている現在のアフリカ大陸中央部から、ホモ・サピエンスが外部に移住を始めたのは、一説によると、約7万年前とされている。  ある者たちは、アフリカの東端、現在のソマリア半島から海を渡り、アラビア半島を経て、ユーラシア大陸、そしてアメリカ大陸へと移動した。またある者たちは地中海を越えて、ヨーロッパへと北上した。そして、ある者たちは、アフリカ大陸の南端へと辿りついた。    

歩く人④

歩行にはリズムがある。 右足と左足を交互に、一定のテンポで前に出して、頭の中で「いち、に、いち、に」と声を出してみる。 小さい頃、小学校の帰り道で、実際に声を出しながら歩いた経験がある人も多いだろう。「ワン、ツー、ワン、ツー」でも「右、左、右、左」でも、同じ。 自分は今でも声に出して歩くことがある。そして呼吸も自然と歩行に合わせて「スッ、スッ、ハッ、ハッ」と、4拍子のテンポを取っている。 自分が1時間に歩ける歩数を数えてみた。約6000から7000歩。1秒間におよそ2歩