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歩く人の神様はいるのかな? ~なんで歩いていると色々閃くんだろうか?~

僕が唯一信頼していることは「歩くこと」と言っても良いくらい、歩くことへの絶対的信頼を持っている。

数々の紀行文で有名なイングランドの作家ブルース・チャトウィンが、処女作『パタゴニア』の中で、ペルシャ人に宗教は何かと聞かれて、こう答える。
「今朝はとくに宗教を持っていません。僕の神様は歩く人の神様なんです。たっぷりと歩いたら、たぶんほかの神様は必要ないでしょう」
              (『パタゴニア』芹沢真理子訳 河出文庫)

おそらくは実際に彼がそういう宗教観を持っていたわけではなく、素直にキリスト教と答えてしまえば、鬼のような眼でこちらを睨み付けているペルシャ人に異教徒として殺されてしまうだろうと瞬時に悟ったチャトウィンの、死地を乗り切るべきウィットに富む回答だったと思うのだが、それはそうとしても「歩く人の神様」というものはなかなか面白い。
そんな神様がいるのならば、僕も間違いなくチャトウィンと同じ神様を信仰することになるだろう。

スタンフォード大学が2014年に行った歩くことと創造性に関する興味深い研究がある。
その研究によると、人は座っているときと歩いているときで比べると、歩いているときの方が60%も創造性が高くなる、ということだ。

歩いている時に、アイディアの恩恵にあずかってきた僕としては、この研究はとても興味深い。

僕にとってのそれは、100%だった。
でもなければ、チャトウィンのように「歩く人の神様」を信仰しますなんてことを言うわけがない。

僕の仕事は、一般的に言えばCGクリエイターということになるのだろうけれども、CGというものは世間一般で思われているほど簡単に作れるものではない。
実物を作るほどの巨大なセットやら材料費やら、人員やらは確かに必要ないかもしれないが、それでもパソコンという小さな箱の中で、実物と見間違えるような仮想の現実を創り上げるには、それ相応の技術と時間が掛かるものだ。

それに技術よりも、アイディアや発想が大事になることが多い。
大体にしてクライアントは「良い感じで!」としか言わない。気楽なものだ。その良い感じを汲み取って、クライアントが「これはまさに良い感じだ!」と思うものを作る、これがクリエイターの仕事であるというと、普通の人間には相手の心なんて読めるはずもなく、まるで不可能な仕事のような気もしてしまう。

だから僕たちクリエイターは、大体いつも悩んでいる。
どんなものを作れば良いのか。必要な材料、素材は何か。過去に似たようなものが作られていないか。何か新しい組み合わせは無いか。
この世界の全てのモノ、全ての創作物が、僕たちの材料になる。すなわち僕たちは元気玉を作っているのだ。この世界のすべてがオラに元気を分けてくれるのだ。
そして、過去の仕事で使ったアイディアが、今回も使えるとは限らない。さて、今回はどんなアイディアで勝負するか・・・、クリエイターは毎回新しい強敵に向き合わねばならない孤高のZ戦士なのだ。

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まあ、そんなことは別に良いのだけれども。
では僕の場合、そのアイディアがどんなときに思いついてきたかを振り返ってみると、それが歩いているときだったことがとても多かった。

僕は33歳のときにブライダルカメラマンから映像クリエイターに転職したのだけれども、はっきり言って僕の技術力は本当に未熟だった。
当時のスタジオでは、僕の一つ年上の男性が全体のリーダーをやっていて、20代前半~半ばくらいの若い子達がバリバリと仕事をこなしていた。みんな僕よりも先輩だったし、僕よりもずっと仕事の出来る人たちだった。
33歳にして業界未経験だった僕は、最初の頃は与えられた仕事をろくにこなすことが出来なかった。どう作ったらよいか全然わからない。とにかく見よう見まねで必死で手を動かし、空いた時間には先輩方のデータをこっそりと開いては構造をメモしていた。
仕事を始めて2ヶ月ほどしたころ、そのスタジオリーダーに呼び出され、マネージャーと三人で面談をした。そこでは、その程度ではこの業界で生きていけない、30を過ぎて未経験で入ってきて、なんだかやる気も見えないし、仕事もとにかく遅い、この先も今のような状態が続くなら、このままでは雇い続けることは難しい・・・、といった意味合いのことを2時間くらいに渡って滔々と説教された。はっきり言ってものすごく辛かった。
とはいえ、技術力が無いことは認めるが、やる気が無いと言われたことは心外だった。僕は映像を作る仕事がとても楽しかったし、新しいことを学んでいくことも好きで、仕事にはとてもやりがいを感じていたから。

こうして説教されたから、それをバネに奮起して努力した、というストーリーを語りたいわけではないが、技術力が無いのならば(これはやっていればいずれ必ず身につくものでもある)、何か他の力で自分を補っていくしかない、とは考えた。
そこで自分が取った方法は、与えられた仕事に自分なりのアイディアを加えて、+αのものを作ること、だった。いや、当時の自分がそうはっきりと自覚してそうしていたわけではないと思うけれども、少なくとも技術的には先輩方のデータから真似をしつつ、表現として自分だからこそ作れたと言えるものを目指してみよう、という気持ちはあったように思う。

それからは毎回、闇の中を手探りで進むようなものだったけれども、与えられた仕事に必要な表現をメモにリストアップしてはリファレンスを調べた。新しい仕事で、クライアントから受けた指定は「青の洞窟みたいな感じで」という短い言葉のみだった。

この映像が、どんな表現を欲しているのか、僕は考えた。明るい雰囲気か、暗い雰囲気か、おどろおどろしい感じか、神秘的か、神々しさか禍々しさか、優しさか厳しさか癒やしか、迷いか混乱か、喜びか嘆きか驚きか、力強さか柔らかさか、などなど、そしてそれらの表現をまずは言葉で書き出してから、どうやって映像表現に落とし込んでいくかを考えるようになった。
机に広げた無印良品の落書き帳いっぱいに、そうした言葉のメモと映像の構図を記した簡単な1コマのコンテをところ狭しと書きまくっては、画面とカットをどうすれば効果的に表現できるかを必死で考えた。
しかし、終電間際まで悩んでも、なかなか良い考えは出てこない。どうすれば良いんだろうと頭を抱えて帰途に着く。当時会社は都内にあり、僕はさいたまに住んでいたため、通勤は約1時間ほど掛かっていた。最寄の駅から家まで30分ほど歩かねばならない。その道の間も、ずっとずっと何を作るか、どうやって表現するかを考える日々が続いていった。

ある朝の通勤時、家から駅へ向かう途中の道のりで、ふっと良い考えが浮かん。それが具体的にどんなものだったかは、はっきりとは覚えていないが、ただ「この方法ならば、あの表現が可能になるかも、そうすれば目指す表現が出来るかもしれない」という確信めいた思いがあった。それだけは明確に覚えていて、行きの電車の中でメモ帳を開いてその発想をメモに書き付けていった。
出社して早速試してみると、これがかなり上手く行った。技術的に分からないところは、似たような表現のビデオチュートリアル(作り方を手取り足取り教えてくれる素晴らしい教育映像があるのです)をネットで探して真似をして、自分に必要な表現へと作り変えていった。それにはさほど時間が掛からなかった。目指すべきゴールが見えているとき、技術はそこに達する手段でしかないのだ。動かす手にもほとんど迷いはない、ただゴールへ向けて進むだけだった。
10秒にも満たない短い映像だったけれども、そこには僕が思い描いた映像が出来ていた、ような気がした。いや、理想を言えば、もっともっと美しい理想の映像が僕の中には思い浮かんでいたのだけれども、それを再現するには僕の技術力のなさか、あるいはツールの限界かどちらかだったと思う。それでも、そこに描かれたシーンは美しかったと今でも僕は思っている。
結果として、そのカットはクライアントから賞賛され、一発でOKをいただくことが出来たのだった。それを僕に告げたときのリーダーのちょっと悔しそうな顔が今でも忘れられない。部下の奮闘をもっと喜んでくれても良さそうなものだけれども。

そうした努力をそれからも続けていくと、なぜか僕の仕事が次第に認められるようになってきた。1年後には、あるクライアントから直接指名で仕事をもらうようになり、僕はスタジオでもそこそこ稼ぐ人材になっていた。それから半年後には、僕はスタジオのチーフに昇格した。僕が入社したときにリーダーをしていた男性は、その少し前に辞めて行った。移り変わりの多い業界でもある。

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そのころ、僕が入社時に作った映像を、後から入社してきた同僚にたまたま見せる機会があった。
業界経験1年半程度の自分が、僕よりも経験の長いメンバーたちを集めて定期的に勉強会を開くようになっていて、そこで自分の過去の仕事を披露したのだった。
「え、始めてからたった1,2ヶ月程度でこれほどの映像作るって凄くない? てかどうやって作ったのこれ?」と、同僚は驚いていた。その同僚は業界経験10年以上のベテランで、僕よりもずっと先輩だった。
僕は素直に嬉しかったけれども、恐らくそれは技術的にはそれほど難しい仕事ではなかったと思う。

それを良い仕事にしたのは、恐らく僕の発想の方だった。
「青の洞窟みたいな感じで」
これを素直に青の洞窟を模しただけでは、良い映像には絶対にならない。
僕は柔らかく青くゆらぐ海原をまず作成して、その向こう側に、洞窟の入り口から差し込んでくる明るい光を模した明るい月を置いた。そのまばゆい月の光は、海原を白く照らしだしながら、それを見る人のところまでまっすぐに伸びてくる。
僕は昔サーフィンをしていたから、この光を何度も海で見たことがあった。夕暮れの沈む太陽が、海原に描く光。それは海に浮かぶ全てのサーファーたちを平等にまっすぐに照らし出す、とても美しい光だった。
僕はその光を表現したのだ。
青の洞窟、限りなく澄んだブルー、入り口から差し込むまばゆい光、その光が見る人までまっすぐに伸びてくる神秘的で美しい世界が、そこには表現されていた。
海が好きで、毎日のように波乗りに出かけていた昔の自分の淡い記憶。すっかりと忘れかけていた小さな記憶を、僕の表現に繋げてくれたのが、歩くことだった。

それ以降も、僕の仕事は先に発想ありきで、必要な技術は必要なときに調べるというスタイルだった。毎回、初心者向けのチュートリアルをこなしては、その時に自分が欲する表現に必要な技術を身につけた。
そして、仕事に必要な発想は、ほぼ通勤時か、お昼休みでランチに出かける行き帰りの道のりで思いついた。

ある時期から、僕は歩くことに絶対の信頼を置くようになっていて、どんなに難しい仕事が来ても、自分は絶対大丈夫、必ず良いアイディアが浮かんでくる、という確信めいた思いを抱くようになっていた。
それは映像クリエイターから、VFXアーティストに転職した今も変わらない。ずっと同じように、歩く中で得た発想を、後から技術を調べて作っていくスタイル。さすがにそれなりに技術力は付いてきたけれども、今でも毎回新しい仕事のたびに頭を抱えては、素晴らしい発想が降りてくることを信じて歩き続けている。

そして、これまでに歩くことが僕を裏切ったことは一度も無かった。僕が唯一「歩く人の神様」を絶対的に信仰する理由だ。

でも、なぜ歩くときにこんなにアイディアが浮かぶんだろうか? どうして歩くことは、こんなにも僕を助けてくれるのだろうか? それは僕だけなのだろうか? みんなも助けてくれるものなのだろうか? それは全ての人類にとって大事なことなのだろうか?

こうした疑問が、僕が歩くことに深く入っていく動機になっている。
歩く人の神様がもし本当にいるのならば、僕はその人に会って、歩くことについて夜通し語り明かしたいと思う。そして話の最後に、ただ一言感謝の言葉を伝えたい。

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miuraZen
歩く人

描いたり書いたり弾いたり作ったり歌ったり読んだり呑んだりまったりして生きています。
趣味でサラリーマンやってます。

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