歩く人⑦
歩くには都合の良い道がそこにあった。
言ってみれば、それだけのことだったのかもしれない。
江戸時代頃には東海道と呼ばれた道。
今は国道1号線として綺麗に整備されているから、神奈川あたりなら道路は四車線で車通りも多いし、歩道も広くゆったりとしている。
昔と比べたらずっと歩きやすくなっているのだろうと思う反面、アスファルトの路面は硬く、足首や膝に掛かる負担は土の地面を歩くよりも大きい。
痛みを感じたら、無理はしないほうが良いと思う。普段歩きなれていない人は、その痛みが日常生活に残ってしまうかもしれないから。
けれども、その痛みをどうにか抱えて、もっと先まで歩きたいと思ってしまうときもある。
僕にとって歩くことは、足の痛みと対話することでもある。
辻堂から、茅ヶ崎へ。茅ヶ崎から、平塚へ。平塚から、大磯、二ノ宮へ。
僕は日を分けて、少しずつ歩いた。
日を分けたのは特に理由は無い。
散歩だったから、なんとなく散歩に適した時間を歩いていた。辻堂から茅ヶ崎へは2時間、茅ヶ崎から平塚へも、大体2時間だった。一駅歩くのがちょうど良い。
3日目になると、身体が慣れてきたのか、体力が付いてきたのか、だんだん興が乗ってきて、平塚から大磯に着いたときには、ちょっと物足りない気持ちがして、もう一駅歩いてみることにした。
だが、それが思っていた以上に辛い道のりになった。
2時間も歩けば、足腰には軽い痛みを感じるようになる。といっても、それはおそらく筋肉の疲労による痛みで、不快な感じはない。身体を使うことに伴う、自然な痛み。身体を使うことの、ちょっとした喜びすら感じさせてくれる痛みだったりする。軽い運動をした後の気持ちよさを感じさせてくれるもの。
大磯駅を抜けて少し歩き、東海道松並木のあたりで、右の足首に痛みを感じ始めた。これは少し嫌な予感がした。自然な痛みとはちょっと違う種類の痛み。僕は少し不安になって、速度を落としてゆっくりと歩いた。
松並木入り口の歩道橋を越えたあたりで、右足首の痛みは突然猛烈なアピールを始めた。歩くことを拒否するように、一歩ごとに杭を打つような鋭い痛みを感じる。
素直に大磯で帰れば良かったか・・・、僕は少し後悔したが、今から大磯まで戻ってもそこそこ距離がある。それに、この痛みも一過性で、いくらか歩けば治まってくるかもしれないし、時間もまだ14時少し前だ。最悪時間が掛かっても、そこまで遅くなることもないだろうし。
とりあえず二宮へ向かおう。
大磯までは一緒に歩いていた筋肉の痛みは、いつの間にやらどこかへと旅立ったようで、今は足首の痛みしか感じなくなっている。一歩歩くごとにギャアギャアとうるさく騒ぎ出すその感じ、アナと雪の女王のオラフみたいにやかましい。
僕のオラフはどこまでも自分に正直で、遠慮という言葉も知らないようだ。
痛いときは痛いと言う、辛いときは辛いという、疲れたら疲れたという。
歩くのやめてもう休もうよ、僕は疲れてるんだ、ほらあそこにコンビニがあるよ、スポーツドリンク買おうよ今日は暑いから水分補給しないとそれからトイレにも行ってこの先またトイレあるか分からないし、甘いものも買ってそこの神社の日陰で休みながら食べたらいいよ、神社で休憩なんてオツなものじゃないか、そしたら僕もゆっくり休めるし最高だね!
と、まあこんな感じで。
僕はオラフの言うとおりにした。
いや、実際オラフはなかなか大したものだよ。そんな細い身体で僕の重い体重をいつも支えてくれているんだから。
それに、正直なところも良い。僕たちはいつも身体に嘘ばかりついているし、ごまかしては無理ばかりさせている。
きっとオラフほどではないにせよ、身体はいつも色々なサインを出しているのだろう。どの部分の住人も、みんながみんなオラフみたいにやかましくないし、こっちが強気で出れば臆病な子羊のようにすぐに物陰に隠れて静かになってしまうから、僕たちはそれを上手く手なづけることが出来ていると勘違いしていまう。
でも、それでは彼らの不満は募るばかりで、いずれは爆発する。そうなったら、もう遅いのだ。後悔して謝っても、もう彼らは許してくれない。
何日も入院する羽目になったり、毎日薬を飲まなければいけなくなったり、酷くなると精神を病んで自ら命を絶ってしまったりもする。
僕たちはもっと、僕たちのオラフに耳を傾けなければならないのかもしれない。
とはいえ、僕は歩かないといけない。歩きたい。
二ノ宮駅までは、まだしばらくある。僕は、オラフが一番満足する歩き方を考えることにした。
まず、オラフに気を使うのは良くない。ゆっくり歩くのはダメだ。オラフはますます我が儘になっていく。
おそらく、あえて足首を意識しないほうが良い。腰と下腹あたりに意識を持ってきて、足を前に出すのではなく、腰から太ももを前に出すイメージで歩いてみる。これはなかなか良い。歩幅もそれなりに取れて、足首の痛みもやわらなくなる。
それから、腰を軽くすっと伸ばして背筋から頭までを安定させる。前のめりになったり、後ろに反っていたりしないように、上半身が腰に自然に乗っているような位置を探る。
こうしてずんずんと歩いていると、不思議と痛みが減ってきた。不思議だけれども、歩ける。まだ、先まで行ける。
オラフは大分おとなしくなった。僕の歩き方に満足したのか、あるいは僕に協力してくれる気になったのか。むしろ歩けと言ってくれているような気がする。
このまま行こう。写真を撮るのも無しだ。立ち止まることなく、歩くことだけをする。
そうして1時間半ほど歩いて、僕は二宮駅近くまで辿りついた。
二ノ宮駅の手前で、海に出るわき道を見つけたので、ちょっと道草をすることにした。300メートルほどわき道を歩くと、丘の向こうに海原が広がっていた。
海は空の青さを映して限りなく青く、そして美しかった。誰もいない海岸で、カモメの群れが賑やかに飛び回っていた。
海はどこまでも広がっていた。青く、ただ青く。
二宮からの帰りの電車で、僕がスマホつけていた雑なメモを、この文の最後に載せておこうと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー帰りの電車。
疲れは限界に近いが、心はなぜか働いている。さっきまで、痛い脚を引きずりながら、一歩一歩、歩いていた道を、戻っていく。その時間は速い、あっという間に、二宮から、大磯、そして平塚へ。約四時間の道を、10分で…
初めて鉄道で旅した人たちは、その速さに驚いたに違いない。何時間も掛けていた道を、一瞬で走り去ってしまう、人間のからだを遥かに超えた速度。それは距離と時間から開放された喜びであったかもしれない。
しかし、同時に思う、この速度の虚しさ、所在のなさを。
あるいたからこそ、そこに見えていた、ひとつひとつの景色を、道のりの手応えを、踏みしめた地面の硬さを、そして歩くことの、移動することが僕らに与える足の痛みを。それは身体だ。この感覚なく、ただ運ばれていく、この自分の所在のなさ。
これはなんだろうか? これが人間社会、というものだろうか。
歩くことに、意味は無い。無意味だ。だが、意味を見出すことに、何の意味があるというのか。奢りだ。疫病にも、生きることにも、意味はない。本来は。人間は意味を見出さないと生きていけないのだ、それが自己矛盾だと知りつつ、人間は意味病に囚われていて、それはこの度の疫病よりも、時には困難をもたらすモノなのだが、それを知らない。
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miuraZen
歩く人
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趣味でサラリーマンやってます。
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