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『努力できない人』の存在を知った話

先日、とても興味深い記事を
拝読いたしました。

「上達の探求」さんの

世の中には
努力できない人がいるらしい(笑笑笑)
真面目に働いたら負け??

です。


とても痛烈ながら惹かれるタイトル。

「世の中には努力できない人がいる?」

「どういうことですか」と
すぐさま記事の中身を拝読いたしました。


今回の記事は、
「上達の探求」さんの記事を読み
わたしの所感を
皆さんと共有させてください。

一部、記事内のネタバレを含みます。

かならず
「上達の探求」さんの記事へ訪れてから
読み進めていただけると幸いです。

では、いってみましょう(^^♪



✔「努力」を理解する

「努力」とは、読んで字のごとく
努めて力を発揮すること。

努力 ‐どりょく‐
目標の実現のため、
心身を労してつとめること。
ほねをおること。

google調べ引用

自分の望む姿、未来に向かって
変化したいならば「努力」は必須です。

努力するから成長するし、
努力するから新しい発見を得られます。

努力によって得た”汗”は、
人生を充実させてくれます。


ただし、世の中には
「努力してもムダな人もいる」と
上達の探求さんは苦言されています。

それは
”ある動画”を視聴し気づきを得たと
上達の探求さんはおっしゃっています。

その動画はコチラ☟


「中野信子」さんの

努力していい人ダメな人!
これに当てはまった人は
頑張ってもムダです!

です。


「努力できる人と努力できない人は、
 生まれつきで決まっている」

動画初頭に
いきなりのドストレートパンチ!

続けて…

「脳科学によって証明されていて
 努力できるできないは遺伝です」

「たとえば、コップに水を入れるとき、
 水が”努力”だとして努力できる人は
 コップが大きい
 反対に、コップの小さい人は
 努力できない人です。

 だから、コップの小さい
 努力できない人は、ちょっと努力すると
 すぐにコップが一杯になるので
 ”あー、もう努力はいいや”
 となるんです。」


なんとも、スゴイお話しです😅

すでに努力の有無は、遺伝で決まっている。

だとすれば、
努力論そのものは不成立だということ。

「努力すればかならず成功する」は、
努力できる人にこそ通用する
エビデンスだという…

頭の痛い言葉です💦



✔身の回りにいる
 「努力している人」

上達の探求さんは記事内で
過去の人間関係におきかえて
「努力する人」を分類されています。

わたし個人的にとくに気になったのは、
「自分は努力していると
 思い込んでいる人」
です。

「いやーー、いる いるっ!!」と
思いながらうなづきました。


わたしも最近、某上司から
「おい、この仕事、忘れてただろう!」と
激怒されたとき。

「原案はどこにやった!
 忘れていたはずだ!」

と言われて…

「あのー、こちらのファイルに
 原案は入れてたのですが…
 確認もされたと思うんですが…」

と返答をすると
つぎの瞬間、某上司は一言も返すことなく
サッとどこかへ消えていきました。


なんなんでしょうかね😅

あたかも、自分は努力している、
仕事しているという空気感でののしる人。

「ただ、”あなたが忘れていた”から
問題になっただけでは…」

と某上司へ事実を突きつければ、
おそらく逆ギレするのは
目に見えています。


こちらの上司こそ
”努力できない人”と分類して
自身の心を休めたいと思いました。




✔努力できない人への
 接し方

中野信子さんのおっしゃるように
一定数は「努力できない人」が
存在するとして…

だとすれば、周囲の人は
どのように接するべきでしょうか。


ポイントは”個人の違い”です。

人それぞれ考えも違えば、価値観も違う。

そして、努力の尺度も
人によってさまざまだとすれば、
「必要以上に努力を強制しない」
方法を取ることが大切だと感じます。

それこそ、
努力論を振りかざすのではなく
その人にあった方法を模索する。


そもそも、もしかしたら
システムに問題があるかもしれません。

環境や置かれている立場で
その人のポテンシャルを発揮できないのは
よくある話です。

「努力が足りないよ」というのではなく、
具体的な内容を伝えて、無理であれば
別の観点の解決策を一緒に考えるのが
良いのではと感じます。


まぁ、「努力しろよ」と言ってくる人は
冷ややかな目で見るにとどめれば
ストレスの軽減にもつながりますよね😅



* * * * *




「努力」は、
けして悪いことではありません。

「努力」によって得られた経験値は
あなたにとって大きな財産です。

ただし、
努力できない人もいることを知ること。

あなたが”努力で克服した”からといって
相手が同様の努力で克服できるかは
また別の問題です。


努力の方向性は、人それぞれ。


また、努力の内容によっては、
その人にとって努力ではなく楽しいモノ
という捉え方も存在します。

だからこそ、面白いと思いませんか。


自分の変な固定概念で
相手の努力の尺度を計ることなく…

個々が輝ける未来が理想だと
上達の探求さんの記事を拝読し
強く感じました。


では、また。
失礼します。

上達の探求さん。
ステキな記事をありがとうございました!

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