「隣の芝生が青い」と感じる時間は必要ない
「隣の芝生が青い」
という”ことわざ”があります。
意味としては…
自分のものより、「他人のもの」のほうが
良く見えるということを意味する表現。
自分の庭も十分に青い
(みずみずしい・キレイ)なのに、
隣の芝生と比べて「悔しい」と思うことを
「隣の芝生が青い」と指します。
今回は、
「隣の芝生が青い」
と感じる時間は必要ない
についてお話しします。
どうして、
隣の芝生を青く感じてはダメなのか。
隣の芝生を青いと感じるよりも
大切なこととは何か。
一緒に共感していただけたら幸いです。
では、いきましょう♬
✔「隣の芝生が青い」と
感じるタイミング
「隣の芝生が青い」と感じるのは、
相手と自分との差を比べることで
始まる感情です。
相手と自分との差を比べる…
能力や環境、時間、財力、経歴などと
人と比べる対象はさまざまです。
多くは、自分の持っていないものを
相手が持っているときに、
嫉妬心から「なんであの人だけ!」と
悔しがります。
✔あなたに隣の芝生と
比べる時間は必要ない
ときとして、
「悔しい」という感情は
行動への原動力になるでしょう。
「悔しい」という感情を持つからこそ、
行動意欲をかき立て
「さぁ、実行しよう!」と思えます。
かりに逆境に立たされても、
「悔しい」と思えるからこそ
自身を鼓舞して行動し続けられます。
ただし、今回のケースは、
”隣の芝生を見て、悔しい”と思う状況です。
そうです…
「人と比べて、悔しい」
と思ってしまうケースです。
わたし個人としては、
人と比べて”悔しい”と思うほど、
「時間の無駄だな~」と
心から思ってしまいます。
なぜなら、
他人は他人だから。
他人と比べれば比べるほど、あなたは
他人の人生を生きることにつながります。
他人の価値観を「あなたの価値観の中心」に
置くからこそ、
他人と比べたくなるのですから。
あなたの価値観は、
あなたが作り上げるモノです。
けして、他人と比べて
他人任せに作り上げるモノではありません。
「隣の芝生が青い」と
感じているヒマは、ないはずです。
✔どういった人が
隣の庭ばかり見る?
隣の庭を気にして嫉妬心を燃やす人には
共通点があります。
もしも、
「当たってるかも!?」と
感じる人は要注意です。
知らず知らずのうちに、
他人の人生を歩んでしまっている
怖い状況になっていますよ(*ノωノ)
・他人の成功を素直に喜べない
・会ったこともない人を批判する
・周囲と同じ評価を受けるのはイヤ
・大切な人が他人を高く評価したら
イヤな気分になる
・「自分の価値を理解してくれない」と
心底思ってしまう
・成功をおさめた人が
スランプに陥ったら嬉しいと感じる
以上の特徴に当てはまるときは
もう一度、自分の価値について
向き合う時間を取るべきでしょう。
✔もっと、
自分の芝生を
大事にしよう!
今回は、
「隣の芝生が青い」と
感じる時間の無意味さについて
お話ししました。
まとめると…
「隣の芝生が青い」と感じることは、
相手と自分を比べている状態。
とくに自分の持っていないモノを
相手が持っているときに
「いいな~」と比べてしまう。
そして、
「相手と比べる」とは、いわば
相手の人生を生きているようなもの。
せっかく、自分の人生として
この世に生を受けたはずなのに、
他人と比べてばかりでは
自分の人生を歩めていない状況に陥ります。
* * * * *
わたしの上司に
「あいつばかり出世しやがって」と
事あるごとに愚痴をこぼす人がいます。
ただ、わたしは
「そりゃ、そうなるよね」と
思えて仕方がありません。
なぜなら、愚痴をこぼす上司は
口は動くけど、手は動かさないからです。
他人の批判ばかりに躍起になって、
肝心の自分のやるべきことをやらないから
周りの人は出世していきます。
残された上司は、さらに
「また、あいつが出世した」と
愚痴をこぼすでしょう。
他人の芝生を気にするからこそ、
自分のやるべき行動を起こせず
他人の人生を歩むという
悲しい結末が待っています。
わたしは、読者の方に
”愚痴を言う上司”のようになってほしくない
と心から思います。
人生は一度っきり。
だからこそ、
自分のために時間を使うべきです。
そして、自分のために
思考や考え方に力を注ぐべきです。
さて…
まだ、
隣の芝生は青く見えますか?
それとも、
自分の庭だけしか見えませんか?
では、また。
失礼します。
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