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六道慧『安倍晴明あやかし鬼譚』 晴明と紫式部、取り合わせの妙を超える物語

<大河ドラマに便乗して本の紹介その4>
 初単行本時には『源氏夢幻抄 安倍晴明伝』のタイトルで刊行された作品の改題文庫化された作品は、タイトルのとおり、源氏物語と安倍晴明が交錯するユニークな作品――物語と現実が複雑に入り乱れる平安伝奇の名品です。

 大陰陽師として知られながらも、齢84となり、数年前から衰えを隠せない晴明。しかしある晩、自分が「光の君」と呼ばれる少年となった夢を見た晴明が目を覚まして知ったのは、いかなる不思議か、彼の体が壮年のそれに若返っているという事実でした。
 一方、その頃都を騒がせていたのは、大内裏北面の不開の門が何者かによって開かれ、さらに突然人々が命を落とす鬼撃病の流行など、数々の怪異。息子の吉平とともに怪異を祓うべく挑む晴明ですが、しかしうち続く怪異に手を焼くばかりであります。そればかりか、幾度も光の君の夢を見るたびに彼は若返り、そして同時に陰陽師としての力を失っていくことに……

 貴族たちが陰湿な権力闘争を続け、姫宮たちが帝の寵を巡って対立する中、都を滅ぼさんとする何者かの陰謀に陰陽の技を以て立ち向かう――というのは安倍晴明もの、というより陰陽師ものの典型的なパターンでしょう。
 本作も表面的にはその系譜に連なるものではありますが、しかし類作とは大きく異なる魅力があります。それは、冒頭でも触れたように本作においては源氏物語が大きな意味を持つ点です。

 本作にも描かれているように、晴明は当時としては相当に長寿を保った人物であります。それ故、彼と接点のあった――あるいは彼と同時代を生きた歴史上の有名人は少なくありません。あるいはこの点も晴明を主人公とした作品が引きも切らない理由の一つかもしれませんが、それはともかく、本作で描かれるような紫式部との共演はなかなかに珍しく、それだけでも大いに胸躍るものがあります。

 しかし本作の魅力は、そうした取り合わせの妙に留まりません。本作において、晴明は夢の中で光の君=光源氏と一体化して物語の一部を体験し、そして同時に現実において、あたかも源氏物語の内容を敷衍するような出来事が頻発することになります。
 いや、そればかりか、紫式部が発表する前の草稿に、現実の出来事がいつの間にか書き込まれ――ここに現実と物語は複雑に入り交じり、互いに影響を与えながら、互いを変容させていくのです。

 我が国最大の「物語」として、今なお読み継がれる源氏物語。しかしすべての物語が(主に著者を取り巻く)現実と無縁ではないのと同様、源氏物語もまた、当時の宮中の、当時の都の現実を映し、影響を受けているといえます。
 そしてそれと同時に、源氏物語が現実世界に様々な影響を与えてきたのもまた事実でしょう。本作は、そんな現実と物語の関係性を、作品の中心に取り込んで見せます。

 物語の中で、紫式部の思惑とは異なるところで生命を持ち始める源氏物語。事件の黒幕が仕掛け、そして晴明が取り込まれたのは、このいわば「物語の魔」と言うべきものであります。
 そして超自然的なものとは全く別の、むしろ正反対のベクトルで物語を歪めようとする権力者の傲慢さ(しかしそれに対して下される裁きの痛烈なこと!)。そして物語を著すことへの紫式部の――当然彼女には作者自身の姿が投影されていることでしょう――不安と自負。
 そうしたものが入り交じった結果、本作は優れた平安伝奇であるのみならず、源氏物語という作品を通じて、現実を侵食する物語の姿を描く一種のメタフィクショナルなホラーとして、見事に成立しているのです。

 しかし、本作で真に印象的な点は、さらにその先に存在します。
 本作の主人公は、安倍晴明であり、そして同様に重要な役割を果たすのが紫式部であることは上で述べたとおりであります。
 しかし、本作で真に中心となるのは、実は二人の女性――共に一条帝の寵を競う藤原顕光の娘・元子と、藤原道長の娘・彰子なのです。

 同じ帝の女御として入内しながらも、彼女たちはそれぞれに鬱屈を抱えています。悲しい事情により尼となり、父の虐待に近い悪罵に晒される元子。父に大事にされながらも、父の強引な振る舞いに心を痛める彰子。
 しかし彼女たちにとっての最大の悲劇は、共に一条帝を愛しながらもそれを素直に表に出せず、そして何よりも帝の心の中には、亡き中宮定子があることでしょう。

 そんな、自分の思いのままに人生を生きることができず、他人の思惑に動かされてきた――いわば他人の物語の登場人物であることを強いられていた彼女たちは、しかし、本作で描かれた出来事を経て、自分が自分の物語の主人公たることに目覚めることになるのです。

 奇想に富んだ伝奇物語の先に、物語が現実に与える影響は、決してネガティブなものだけではないこと――そして人は、自分の物語の主人公たり得ることを、日本最大の物語を題材に示してくれる本作。
 先に述べたとおり、現実と物語の関係性を巧みに浮き彫りにしてみせた名品です。


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