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本物の「知性」とは|自分なりの意見や解釈を持つこと
こんにちは。かきもとみさです。私はチャレンジが人生を充実させると実感しており、チャレンジを応援できるような記事を配信したいと思っています。
つい先日、お世話になっているコーチとのセッションの際に「目指したい"知性"のゴールは?」という会話になり、私は自分の中で明確な結論を見つけました。
それは「本が書けるくらいに自分の意見や考え方を明確にできる人になること!」というもの。
その数日後に、この記事を見つました。
この記事の中で、カルティエ・ジャパンのプレジデント&CEOが全く同じようなことを仰っていて感激してしまい、思わずブログを書いてしまいました。
教養とは「自分で集めた情報を活用し、自分なりの考えをつくること」。
もう激しく同意です。
教養についてずっと思っていたことを言いますと、私は「極端な意見」を持つことは「愚かなこと」だと思っています。
例えば政治の話というのは対立しやすく、センシティブですよね。
過激な意見を発信したり、対極な意見を批判したりと、ネットで辛辣に闘っている光景をよく見かけるものです。
ですが、本当に政治に詳しくて、様々な人の視点や背景、多様な考え方をきちんと勉強している人は、自分と違う意見の人に対して「間違っている!」なんて絶対に騒がないと思うんです。
政治経済学の第一人者のような人が、右やら左やら騒ぐ人と一緒になって極端な発言をしているなんて想像できませんよね。
基本的に誰かを否定して騒いでいる人たちというのは、大体狭い知識の範囲で、自分のことしか考えていない人だとしか思えないんです。
本当に勉強している人というのは、もっと物事を俯瞰した上で、きちんと自分の意見を持っている。自分の意見は明確だけれども、それは対極の意見をきちんと理解した上での考察だったりするものです。
そういう姿が本当の知性だし、そんな風になれたら素敵だなぁと思っています。
政治に限らず、きっとどんな日常のテーマでも同じです。
日本史、世界史、芸術、哲学、文学。いろんな分野で、排他的な極端な意見に固執する前に、だれもが視野を広げて勉強すべきだと思っています。
「自分はこう思うけど、本当にそうなのかなぁ?」と、日々、自分の知的考察が小さいかもしれない可能性を疑ってみて、学びを深めてみると良いのではないかと思っています。
そんな風に学びを進化させることで、多様な考え方への理解が深まって、人に優しくなれる気がしています。
特にこの記事にあるように「日本は『正しさ』へのプレッシャーが大きい」というのはごもっとも。
以前の日経新聞で、「日本の教育現場では、『4人に5個ずつリンゴを配るとしたら、リンゴはぜんぶでいくつ?』という小学校の算数の問題で、
『4×5=20』が正解で、『5×4=20』は△がつく」、というのを読んで驚愕したのをよく覚えています。柔軟性、ゼロ!
たしかにこんなガチガチに枠に固められたクローン教育を受けていたら、「模範解答にたどり着いたらおっけー!」となってしまって、深く考える力は身に着かないし「考え抜いて、自分なりの意見を持つ」なんてのには相当な練習が必要なのかもしれません。
でも大人になったら、知性を磨けるかどうかは自分次第。
私は「知的好奇心」というのを人生のテーマのひとつに置いています。
好奇心が常に絶やされることなく、一生学び続けたい。
カルティエの職場のように、会話にギリシャ神話を織り交ぜられるレベルはまだまだ遠いけれど(笑)、日々の小さな好奇心が重なって、学ぶことで、自分の価値観を磨いていけるものだと信じています。
学ぶ大切さに改めて気づかされた記事でした。
ではまた♪Adiós❤
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