散歩をしないと気がすまない日々
少し大げさに聞こえてしまうのだけど、私はつくづく「散歩をしないと気がすまない日々」を歩んでいるような気がする。毎日、天気はどのようか、どの時間に散歩に出かけるか、どこの道を歩こうか、そんなことで頭がいっぱいである。
最近は朝が肌寒くなってきたので、朝の9時頃か、昼の14時頃に散歩に出かけることが多い。それが夏であれば、太陽が完全に街を照らす前の5時頃であるし、冬はポカポカな陽気を感じられる15時頃。そうやって、散歩を軸に日々を形作っている。散歩が中心の日々、ともいえるかもしれない。
散歩コースでいえば、家の近くにある梅小路公園が、私にとっての最適な場所である。木漏れ日を追いかけながら、途中でベンチで本を読んだりストレッチをしたりしながら、ぐるりと園内を一周。犬を連れた飼い主さんが5人ほど輪になって会話を楽しんでいる姿を、羨ましいな~と横目で思いながら通り過ぎる。すぐ近くには京都水族館もあり、子連れも多い。一人で歩いていても、人間観察には飽きることがなくて、自然と脳内で自分自身との会話を楽しんでいる。
天気予報に大きな晴れマークが付いた日には、もう少し遠く、鴨川や琵琶湖へ行く。そんな時には長く居られるように、レジャーシートと本とコーヒーを用意して。散歩というよりはお出かけ気分なのだけど、いつもとひと味違う場所を歩けば、当たり障りなくすぎていく毎日が少しだけ彩られる気がするのだった。とびっきり晴れの日には、大好きな場所に居たいから。
ある時には、一度も歩いたことない道を進む散歩をすることもある。「今日は知らない道しか歩かないぞ」と心に決めて、Googleマップも見ずにひたすら歩いたことない道を進む。京都はとにかく路地が多い。たくさん歩いているようでも歩いたことない道が多くて、その先に素敵なお店がぽつんと佇んでいる様子を見ると、Googleマップで探して見つける時よりも一層の嬉しさが湧き上がる。
散歩の醍醐味は、近所にあるおなじみの場所を歩くことも、少しだけ遠くへ足を運んでお気に入りの場所へ散歩にでかけることも、まったく知らない道を密かな冒険心を抱いて進むことも、すべて自由である、ということかもしれない。
その日の気分、その日の天気、その日の時間で決めればいいのだ。ちなみに、今日は「なぜだか遠くへ、知らない場所へ行きたい」という気分だったから、いつもは行かない方角へ自転車で行って、そこを起点に散歩をしてみた。空が見渡せる河川敷で、気持ちよく過ごせる日々に感謝したい、とさえ思えたのだ。
木漏れ日でキラキラしている景色を見ているだけで幸せだと思ってしまう。イヤホンを外して鳥たちがなく声に耳を傾けてると、「私はこんな時間を第一に大切にしたいんだ!!」と強く思わずにはいられない。雲一つない空を見ていると、その気持ちよさを全身で味わいたい!ともどかしい気持ちになる。ただの散歩だけでこんなにも幸福を得られてしまうなんて。どれほど私は幸せ者なのだろうか。
夜になると、明日はどこへ行こうか、とついつい考えてしまう。明日も大きな晴れマーク。せっかくだから、大好きな鴨川まで足を運ぼうか。明日の散歩のことを考えているだけで、味気ない毎日であっても、「まあ明日も散歩に行けるし頑張るか」と思えてしまうから不思議だ。